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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.12] ■■■
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ここで、小生が、天照大御神記述のキーポイントと思っていることを、再整理しておこう。

何といっても、出自が明瞭に表記されている点。その性情は、皇統譜の正統性・正当性を誇れるとは到底言い難いにもかかわらず。(優秀な官僚からなる国史編纂プロジェクトがこの手の伝承を採用するとは思えない。)
・・・火神の火之R毘古を生み火傷を負ったため、止む無く神避りて、黄泉国に座すことに。その結果、蛆が湧く遺骸と化してしまう。それを目にしたため御穢を被ってしまった伊邪那岐命は、いたたまれなくなりその場からすぐに逃亡。禊で穢れを落とすべく、目を洗ったところ、神が生じたとされている。
その直前にも≪所到其穢繁國之時 因汚垢≫から神が成ったと記載されている以上、大御神も、それと大きく変わる必然性はない。つまり、大御神の出自は、忌み嫌われている筈の<死の穢れ>ということになる。もちろん父母無し。


ところが、<死の穢れ>出自にもかかわらず、即時、アプリオリ的に≪貴神≫とみなされる。その理由は自明とは言い難い。
しかも、その≪貴神≫に対して、唐突にも、伊邪那岐命は高天原を治めるように命ずる。もともと、その地の神々から派遣された立場にあると思いきや、突如、地位が逆転する。葦原中国の造り手としてしか活動していないにもかかわらず、どうしてその様な詔を出せるのか、不可思議。いつどのようにして全権を付与されたのか、皆目見当もつかない。

次に、これを踏まえて見ておくべきは、大御神のプロフィール。
この禊では、≪月讀命≫と対偶的に目から神として成る。さらに、その後の岩戸隠れでは、日の光が消えて世界が暗闇と化す事績が収録されている。≪天照≫名と合わせれば、どう考えても太陽神。しかしながら、そう記載されている訳ではないし、高天原での活動状況を見るに、自然神の風情はほとんど感じさせない。・・・超絶的な太陽の存在を神格化し、その神こそ祖と言うことで、≪日の御子≫たる天皇の地位を権威付けようとの試みがなされている訳ではない。

考えてみれば、最高神としての太陽神信仰は普遍的とは言い難い。それに、モンスーン農耕社会では、最高自然神は太陽ではなく水神(水源の山も含む)の方が自然だし。ちなみに、天竺も中華帝国も日神はone of themの地位である。勿論、古代太陽神話は存在しているものの、天体としては、星信仰が基盤。

要するに、大御神への信仰はかなり特殊ということ。
それでも、これだけならそれほど気にならないが、絶対的男系社会である儒教国の統治システムを取り入れ真っ最中なのに、始祖を女神とするのだから、恐れ入る。(「古事記」は、天武天皇が政治的目的で創作した作品と見なす人もいるようだが、ここらをどう考えるのだろう。)
しかも、それが月と対偶的に定義されている太陽神だとすれば猶更。(「古事記」では性別を明確にしてはいないものの、男神とみなすには余りに無理があり過ぎる。)
  続く

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