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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.29] ■■■
[歌鑑賞27]日々並べて夜には九夜
【御火燒之老人】
迦賀那倍弖かがなべて 用邇波許許能用よにはここのよ 比邇波登袁加袁ひにはとをかを
㊂(5-7)-7

    爾 其御火燒之老人
    續御歌 以 歌曰

日々並べて  (かかった)日数はいかほどかと言うと
夜には九夜  夜は九夜を(経て)
日には十日を  昼は十日を(費やしたことになります)

前の歌に回答した歌だが、質問自体にたいした意味は無く、一種の宴会芸的な一首と考えるべきだろう。
倭建命の質問歌を巡って、ああでもない、こうでもない、と歌が続いたと見てよさそう。行軍を振り返っての、そんなやり取りを互いに楽しむシーンを彷彿させる。

この片歌は、御火燒之老人作だから、夜の宴会だろう。

中味は他愛ないもので、都合、九晩十日とのことだけ。現代の数値感覚の9泊10日と合致する表現なので違和感を感じ無いが、古代の強行軍である以上、夜の数を11としそうなもので、どこか変である。

それに、そもそも、歌ったとされる御火燒之老人という名称から見て、軍勢のメンバーとして最初から活動していたとは思えない。どちらかと言えば、甲斐国の土着人で、倭建命に服属し、火を熾す警護担当として徴用されている風情に映る。そんな質問を、服属者にぶつけること自体とてつもなくおかしなこと。答えることができるとしたら、奇異を通り越しており、神的と言ってよかろう。

と言っても、初の連歌。
大伴家持と尼のように公的地位は全く異なっていてもほぼ対等として扱われていることになる。土着人と言っても、倭建命に対して直接答を歌うのだから、その地の頭領クラスしかあり得まい。実際、この歌が評価され、支配者としての地位を認められたことだし。

・・・ことほど左様に、この歌の解釈は如何ともし難いものがあるが、考えればわかる訳でもないから、適当に通説に従って、疑問はすべて頬かむりし、お茶を濁すしか手がなかろう。

もっとも「漢典」詞語では、十日とは、"古代神話傳説天本有十日 堯命后羿射落九日…十干所表示的日子"とのみ記載されており、dayではなくsunを意味しているのかも。最後に残った最強の太陽こと日子こそ倭建命であると褒め称えたことになる。

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