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2007.10.8
 
 


CSRとは何か…

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
 とかくに人の世は住みにくい。」(1)

 久方ぶりに、この言葉を耳にした。ふとしたことから、開発現場の管理職の方と酌み交わした時のこと。
 学生時代以来、文芸書から遠ざかっていたが、漱石をじっくり読み始めたと言う。
 流石、業績好調の企業の人は心にも余裕があると、いらぬことを考えたが、そういう訳ではなかった。会社のマネジメントにご不満な様子なのである。よくわからないが、その感覚が、「草枕」の一節とピタリと合うらしい。

 会社で何が問題かといえば、CSR(Corporate Social Responsibility)なのだと。
 「ウチは日本企業なのだぜ」とおっしゃる。
 金儲けにしか目がない人が入れ替わり立ち代り状態の企業とは訳が違うと言いたそうである。

 実は、それこそが日本企業が信頼されにくい根源でもあるのだが。
 誤解を恐れずに言えば、いくら真面目に対処していても、日本人ばかりの企業は、ご都合主義的態度に映りかねないのである。

 そう見られる理由は、言語がまったく違うことや、アジアに対する偏見もあるが、おそらく一番影響しているのは宗教の違いだと思う。
 海外から見れば、日本の八百万の神々とはアニミズムそのものに映る筈。文化的に相当異質な感じがするのは間違いない。
 しかも、日本の宗教について、断片的知識を持ち合わせていることが多い。例えば、神社崇拝は盛んだが、経典は一切ないといったことを知っていたりする。しかも、他の宗教と無原則に一体化するのも特徴と考えているようだ。と言うのは、隣国の中国と対比するからである。中国は共産主義国家だが、宗教は儒教と見なされており、先祖崇拝が原則だ。このため、「家系」を無視する仏教は排除されたと言われている。ところが、日本は仏教国だというのに、先祖崇拝を続けていると聞かされる。なんとも理解しがたい訳だ。
 まあ、このような見方も当たらずしも遠からずの点もあるが、厄介なのは、このことで、日本人にはPrincipleが無いと考えがちということ。換言すれば、突然、考え方を変えてもおかしくない体質と見られているということである。
 口には出さないが、何を考えているかよくわからぬ輩、と見なされる可能性は極めて高いのである。

 言うまでもないが、これは文化の問題。いくら一生懸命説明したところで、そう簡単に解決できるものではない。
 だからこそ、グローバル標準のCSR体制が重要になるのだが、そうした感覚を持つ人は少ないようである。

 いまや、企業がひとつの国より強い力を持ちかねない状況にある。そんな時代に、一国の文化にどっぷり浸っている企業は、異なる文化と重大なコンフリクトを発生させる危険性を孕んでいると考えた方がよい。それでなくても、変化は激しくなってきたから、様々な問題は次々と発生する。企業のトップと優秀なスタッフが舵取りする体制では、乗り切るのは大事なのである。
 従って、できる限り自律型に動ける組織へ変え、対処していくしかない。これが、1990年代から始まった企業の動きである。
 社会貢献の端緒としては、1979年に始まったメセナ(MESENAT)(2)だが、グローバル化が進み、こうした取り組みの重要性がわかってきた。そして、より高次のCSRとして対処すべきと変わってきたということ。下手をすると、社会から放逐されかねないことに気付いたからでもある。

 従って、CSRとは、企業が始めた“インターナショナル”運動といえるかも知れない。
 この流れに一早く気付き、“環境にやさしくないビジネスを手がける企業は発展途上国へ行ったらどうか”と発言し、顰蹙をかった米国人を覚えている人もいよう。
 それはともかく、CSRは国際標準化の流れでもある。おそらく、この規準を満たせない企業は、社会から爪弾きにされよう。

 国連事務総長の言葉に、そんな雰囲気を感じる人もいるかも知れぬ。・・・
 “We need business to give practical meaning and reach to the values and principles that connect cultures and people everywhere.”(3)

 話はかなりとんでしまったが、さきの管理職氏のご不満の根源に戻れば、CSR絡みの業務が余りに多すぎるということだろう。おかげで普段の仕事ができず、不平不満が鬱積しているのだ。周囲から、こんなことばかりしていてよいのかとの声を始終浴びせかけられ、中堅管理職はたまらぬということでもある。経営者は現場の苦労をわかっておらんという訳だ。

 このことは、CSRの意義を伝えることに失敗していることを意味しているのかもしれない。

 CSRは、メセナ活動でもなければ、不祥事を防ぐための規則遵守の仕組み作りでもない。企業の発展のための投資活動に近い。どんな問題が発生しようと、組織が自律的に対応できるように変える運動である。
 そんなことを明確に指摘した経済同友会発行の小冊子もあるが、大部なので読む人は少ないか、あるいは読み方が色々あるのかも知れない。
  → 『「市場の進化」と社会的責任経営−企業の信頼構築と持続的な価値創造にむけて−』 (2003年)
        経済同友会(当時 小林陽太郎代表幹事) 第15回企業白書

 自社の収益力を高めながら社会発展にもつながるようなガバナンス体制を構築しないと、企業経営が立ち行かない時代に入っているのに、現場にはそんな意識が無いというのでなければよいのだが。

 --- 参照 ---
(1) 夏目漱石: 「草枕」 初出1906年 [青空文庫] http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html
(2) http://www.admical.org/
(3) UN 「Global Compact」 http://www.unglobalcompact.org/
(人のアイコン) (C) Free-Icon http://free-icon.org/index.html


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