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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.3.9 ■■■

羽 (色々)

鳥類こと、「羽」の類の記述を順に眺めてみよう。

【鳳+(凰)
ここはすでに、「羽 (鳳, 烏)」[→2016.2.13]でとりあげた。
「羽嘉→飛龍→鳳→鸞→庶鳥」[→]ということだが、現代感覚からすれば、羽嘉は羽ありの爬虫類、飛龍は飛ぶ恐竜、鳳は始祖鳥となるだろうか。

【孔雀】
釋氏書言,孔雀因雷聲而孕。
孔雀明王はコブラを食べるということでインド固着信仰により神格化していたものが仏教に取り入れられたものなのは明らか。雨季が近づくと孕むということで、雷鳴との繋がりができるのも、インドの季節感そのものだろう。
羽は天子の御下賜品としては最適だと思うが、その辺りの話は無い。

【鸛/鵠の鳥[こうのとり]
江淮謂群鸛旋飛為鸛井。・・・能群飛薄霄激雨,雨為之散。
群れをなして飛ぶ大型な鳥で、南で越冬し、雨季にやってくる訳だ。日本とは違い黒いから、飛んでいる姿は遠くからでもよく見える筈。
人探巣取鸛子,六十裏早。
巣から幼鳥を取ると罰があたるゾと言って、皆で、結構、大事にしていたようだ。そうでもしないと、大型はすぐに絶滅の憂き目である。

【烏】
ここもすでに、「羽 (鳳, 烏)」[→2016.2.13]でとりあげた。

(喜)[かささぎ]
七夕の牛郎と織女相会の際に、鵲橋となって男女情縁が実現されるとの伝説があることが知られている。しかし、その話ではないし、「喜鵲登梅」でもない。
鵲巣中必有梁。崔圓相公妻在家時,與姉妹戲於後園。見二鵲構巣,共銜一木,如筆管,長尺余,安巣中,衆悉不見。俗言見鵲上梁必貴。
巣作りを観察すると、筆の軸のような小枝のような棒状材料を持ち込んで、巣の構造材にする癖がわかるらしい。ただ、滅多にその行為に気付く人はいないそうだ。暇人でも、そんなことに時間を費やす人は稀だから、当たり前だが。そんなこともあり、それを見かけると身分が上がるとの俗説ありと。
閑にあかせて、成式もかささぎ観察に余念がなかった筈だが、そんなことおくびにも出さず。ワッハッハもの。笑わせてくれる。

【燕】
或言燕蟄於水底。
簡狄は水浴びの際に、玄鳥の卵を飲んだことで、殷の始祖「契」を生んだとの話あり。そんなこともあって、玄鳥こと燕は水に縁ありということなのだろうか。
春分に来たりて、秋分に去る習性とされていたから、見えない期間は南方の常世の国で休むと見なされていたのだろう。井戸の中とはそういう意味かも知れぬ。
竹取物語に「燕の子安貝」という訳のわからぬ要求がでてくるが、これも簡狄の話から来ているような気もする。(現代感覚からすれば、ホラ、あったよ!と心がこもった嘘を言ってくれれば結婚しますという優しいメッセージを送ったとも読めるが。なにせ、他の求婚者はいかにも曲者であり、そちらには嘘自体が不可能な異界の課題を与えたのだから。)
胸班K,聲大,名胡燕。其巣有容匹素練者。
燕の種類は、一般的な「漢燕」のほかに、山燕、岩燕が知られていたということだろう。地域名にすれば、それぞれ、胡燕、越燕だ。現代でも後者はグルメ垂涎品の生産者だから知らぬ人なしだが、前者は食に貢献しなかったから中華帝国では忘れ去られるのは致し方なかろう。

【雀】
釋氏書言,雀沙生,因浴沙塵受卵。
仏教系では、沙から生まれた鳥とされているとは知らなかった。多分、御幼少のみぎりから砂浴び好きと見られていたから。
蜀吊烏山,至雉雀來吊最悲,・・・
蜀では、雀が大挙して居つくような鳥山が遺骸の埋葬場所だったのであろう。日本で言えば、野辺山か。鳥葬習慣が無いと、烏は腐肉食なのでとことん嫌われるが、雉や雀の鳴き声は喪を悼む声として合うとされ、その鳴き声だけでしみじみ感が生まれるのであろう。古事記の記述を想起させられる記述である。マ、羽類の特徴は、なんといっても、鳴き声なのだから当然ではあるが。
・・・,百姓夜燃火伺取之。無不食,似特悲者,以為義,則不殺。
そのような鳥ではあるが、百姓は、夜に松明を燃やして雀のお宿に入り、ごっそり獲るのである。ただ、その猟にはルールがあり、できる限り殺生しない様子が伺えるので、成式は感銘を受けたのではなかろうか。・・・穀類を擂り潰す消化器官である嚢が無い場合は食べないし、特に悲し気に映ったりすれば「義」なので、殺さないそうである。生態学的見方と、情緒が同居していて不思議であるが、前者は成式が言い換えたのであろう。要するに、穀物を頬ばって肥っている雀以外は逃がすということ。痩せているのは、骨だらけで食べにくいし。
ともあれ、百姓達にとっても、親近感を覚える小鳥だったことがわかる。
実際、有り難かった事績として、「異鳥」として、雀の大群がやって来て大発生した害虫を食べたとの、次のような話が記載されている。
開元二十三年,楡關有蜍蟲,延入平州界,亦有群雀食之。
穀物を食い荒らす害鳥という見方があるが、嘴の構造上、落穂拾いしかできない鳥である。農耕にたいした害がある訳ではない。従って、百姓にとっては益の方が多い鳥であり、この姿勢は合理的でもある。
非合理な思想をふりまくのは、たいていは権力者。毛沢東が雀絶滅のお触れを出して、帝国全域で同時雀狩をさせて大成果を競って報告させたのは有名な話。天子になれたので欣喜雀躍だったのであろう。日本では、毛沢東ファンだらけだからそんな話は葬り去られるだろうが。

【鴿/鳩
波斯舶上多養鴿。鴿能飛行數千裏,輒放一只至家,以為平安信。
伝書鳩はシュメールで利用されていたらしいし、エジプト古代王朝では漁船が使っていたという。
成式は、ペルシアの船舶では伝書鳩が使われている、と高官から聞いたと記載。ペルシアは海の宿場制度を持っていることをそれとなく知らせたいのであろう。
このことは中国では伝書鳩利用が進んでいないことを、成式が、えらく気にかけていることを意味している。
とっくの昔に伝来している筈だが、もっぱら鳴き声競技用だったのだろう。それに中華帝国では、伝書鳩は旅程の途中でヒトに喰われる確率も高そうだし。しかし、海上交信ならそんな問題はない。
海洋帝国を目指すなら、平穏な航海中との連絡の仕組みは重要だゼというのが言外の意味か。
もっとも、生きているゼとの象徴こそ鳩というだけの、ご愛嬌文章かも。・・・項羽の兵に追われた劉邦は井戸の中に退避し、2羽の鴿を井戸の上にとまらせた。お蔭で、疑われずに命拾い。後、この記念に毎年野放雙鴿とか。[source:自然系図鑑 野鴿}後生の作り話だと思うが。

【鸚鵡】
成式先生の観察眼鋭し。
能飛。
オウムをよく知る人でも、この指摘が最初にくることは稀。何故かと言えば、ヨタプラ歩くとか、枝上を嘴も使ったりして昇り降りしている姿しか見かけないから。ところがこの鳥、翼を広げる姿を見せてもらうと、その大きさにビックリさせられる。当然ながら高速飛行能力があるのだ。
衆鳥趾前三後一,唯鸚鵡四趾齊分。
浅学なので正式な形態学用語なのかは知らぬが、対趾足の鳥と呼ばれている。前2つと後ろ2つ。動物園での初等観察教育の定番。
凡鳥下瞼上,獨此鳥兩瞼倶動,如人目。
そうそう、他の鳥は下瞼なのに、上瞼で瞬きするのだ。本格的に寝る時は下瞼が上がってくる。瞬膜(人には無い。)の閉じ方もそこいらの鳥とは違うようである。じっくり眺めるとわかるが、そんなことに関心を払う人はまずいない。
玄宗時,有五色鸚鵡能言,上令左右試牽帝衣,鳥輒R目叱咤。岐府文學能延京獻《鸚鵡篇》,以贊其事。張燕公有表賀,稱為時樂鳥。
ヤレヤレ。
オウムと遊ぶ玄宗皇帝と高級官僚の図。
大いに寿いだ詩を献じた張燕公とは、713年に玄宗に刀を送り太平公主打倒の挙兵を決断させた張説[667年-730]。その功績で燕国公に封じられたのだ。宰相を3度も歴任した人物である。どんな詩なのかご参考迄に。・・・
  「時樂鳥篇」 [唐 張説]
序:伏見天恩以靈異鸚鵡及能延京所述篇,出示朝列。臣按《南海異物志》,有時樂鳥,鳴云太平,天下有道則見。驗其圖,丹首紅臆,朱冠漉メC鶯領文背,糅以五色。今此鳥本南海貢來,與鸚鵡状同,而毛尾全異。其心聰性辨,護主報恩,固非凡禽,實《瑞經》所謂時樂鳥。延京雖敘其事,未正其名。望編國史,以彰聖瑞,臣竊同延京獻詩一首。
舊傳南海出靈禽,時樂名聞不可尋。形貌乍同鸚鵡類,精神別稟鳳皇心。
  千年待聖方輕舉,萬里呈才無伴侶。紅茸糅繍好毛衣,清好言語。
  内人試取御衣牽,啄手暝聲不許前。心願陽烏恆保日,志嫌陰鶴欲凌天。
  天情玩訝良無已,察圖果見祥經裏。本持符瑞驗明王,還用文章比君子。
  自憐弱羽堪珍,喜共華篇來示人。人見嚶嚶報恩鳥,多慙碌碌具官臣。


【杜鵑/不如帰[ほととぎす]
滅ぼされてしまった古代の蜀の、「望帝杜宇」は農耕で国を繁栄させたとされる。しかし、治水能力を欠いたせいか譲位し隠遁生活を送ったという。その霊魂は西山にありと。
杜鵑が春分頃に鳴くのは、その霊魂の囁きとみなされている。杜宇、蜀魂はママの名称ということになる。それは余りに直接的なので、"鵑"や"不如帰”という鳴き声を名前に当てることもあるが、たいした違いはない。
発祥の由縁から考えれば、とうてい悪霊とは思えないが、その鳴き声を下手に耳にすると祟られるという説が流布されてきた。
初鳴先聽其聲者,主離別。廁上聽其聲,不祥。厭之法,當為大聲應之。
これは、インテリが考えた、反俗説では。
ほととぎすの初鳴きは極めてか細いと言われているからだ。それを蜀魂の声とするのは悲しすぎるし、ただならぬ苦闘を死んでからも果たしている姿は尋常とは言いかねる。
つまり、能天気に、農耕開始を告げてくれ有難うとの俗説は、為政者の苦労を知らぬ者共の感覚であり極めて不快という訳。
なかでも、糞便をしながら、フンフン、今年もやってきたわいというのは罰当たりそのもの。
春の農耕シーズン到来を告げるという、たったそれだけのために、一心不乱になっているのであり、命をかけた大仕事をしていることを忘れてもらってはこまるというのだ。
杜鵑,始陽相催而鳴,先鳴者吐血死。
オウムにうつつを抜かす話をしたが、成式の生活とはそんなものと見なされては、沽券にかかわる訳だ。

【雛
效人言,勝鸚鵡。
人によく懐く「八哥鳥」のこと。日本では馴染みが薄いが、花鳥図にはしばしば登場する。言葉をしゃべれるので、人気の鳥と言ってよいだろう。
ただ、火を扱うのは、いくらなんでも難しい気もするが、徹底的に教育すればその可能性は否定できない。そんな曲芸をする鳥がいたとの伝承があっておかしくはない。
舊言可使取火
ヒトの身近で生活可能な鳥ということももあって、羽毛や内臓を除いて、漢方用に徹底的に使われていたようだ。眼用だけ記述しているのは、透き通った目が魅力的な鳥でもあったということなのだろう。
取其目睛,和人乳研,滴眼中,能見煙霄外物也。

/鵞
濟南郡張公城西北有鵝浦。南燕世,有漁人居水側,常聽鵝之聲。集中有鈴聲甚清亮,候之,見一鵝咽頸極長,羅得之,項上有銅鈴,綴以銀鎖,隱起“元鼎元年”字。
考古学的に、ガチョウの家禽化はかなり古い時代ということが判明している。この鳥、首が長いのでいかにも長距離飛行しそうに見えるが、肥えてしまうとと飛ぶ能力が格段に落ちる。そういうこともあるのか警戒心は極めて強い。しかし、個体によるが、一羽で飼うと人にトコトン懐く鳥であることが知られている。
大繁栄していた時代だから、ペット的に可愛がる人がいてもおかしくない。立派な装飾品をつけたりして。奴婢より、ガチョウを大切にする金持ちがいない訳がなかろうそうなれば、なんらかの切欠で逃亡し野生の群れと合流するガチョウも少なくなかったろう。おそらく、成式はこうした風潮には批判的。口には出さないが。
   鵞鳥のOLIVER君の日々"---leesa111"@YouTube

成式の意向を尊重した訳ではないが、ここまでは掲載順。この先は訳のわからぬ鳥となる。現代でも通用するような鳥も入ってはいるが、とりあえずここまでで一段落としよう。
なかなか読みごたええがある著作である。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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