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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.30 ■■■

異質=差別対象

成式は多様性に寛容な人々が集まるサロンをこよなく愛していたようだ。「酉陽雑俎」もそのようなタイプの人々に向けた本と見て間違いなかろう。
従って、気の合った仲間と、長安寺院巡礼をしてみたりもするのである。なかでも驚きは、故国を棄てた倭国僧侶"金剛三昧"と、赴任先で一緒に山登りをしていること。そんな話を、隠さずに話して聞かせてくれる訳である。
そして、そんなことを書いている本とは、権力が嫌っている「小説」にすぎないと断言。支配に好都合な儒教的道徳観の目では「現実」は見えないと言っているようなもの。

といっても、反体制的言辞を振舞くそぶりは全く見せない。
それは、高級官僚の家に生まれてしまった宿命でもある。官僚生活を続ける以外に、この社会では生きる道無しと達観しているにすぎない。おそらく、天竺にも行ってみたかったろうが、官僚である以上、無理である。抵抗を押し切って我を通したからといって、社会が変わるとも思えぬということでもあろう。従って、そんなことを口に出すこともなかっただろう。

しかし、物質的には、愉しい生活を満喫していた訳で、それをあえて避けたところで、たいした意味なしと考えていた筈である。
肩肘張らずの自然体で社会に向き合っていたと思われる。

なにせ、官僚の道から外れたりすれば、塗炭に家の生計が成り立たなくなる。結果、一族郎党から、売買可能な家で働く奴婢に至るまで、全員が路頭に迷うことになりかねない。それで革命が起き、理想社会に一歩でも近づくというなら別だろうが、たいていは逆である。

しかれど、官僚社会ほど馬鹿げた社会はないとも見ていた節がある。ここがユニークなところ。

親の姿を見てきたせいもあろうが、権力には関心が薄く、できる限り政治的角逐に巻き込まれないようにふるまっていたようだ。そうはいかなくなることもあったのは間違いないが。
とは言え、中華帝国における官僚のポストは少ない。しかも、それを巡って、閨閥人事と権謀術数が横行。決して、のんびりと生きていける環境ではない。
それなりの社交性を発揮しなければ、即、落伍の社会である。
成式の場合、仕事に手抜きをせず、成果を上げていたからこそ、それなりの地位に留まれたということだろう。

しかし、どうも、それを本職とは考えていなかったご様子。
それなりのポジションを保つことで、気持ちよく生活する原資を得れば十分で、そのために働いているだけと割り切っていたようである。それは狡賢いとか、利己主義ということではない。それこそが、最大限の社会貢献の道と判断した結果にすぎまい。

本気で注力したのは、サロン運営だろう。もちろん、それは、官僚社会における栄達目的の集まりとは無縁の世界。荘子の逍遙遊的なものとも違う。従って、皆で空想に耽ることが嬉しい自称文人達とは一線を画す。
要するに、成式のもとに集まってくるのは、多様な見方ができる、好奇心旺盛な知的な人達。冷徹に現実を観察する目を持っており、ドグマ的な発想を嫌う人ばかり。だからこそ色々な見方がでてきて、社会の流れを読むこともできるのである。そんな面白さを味わいたいからこそ集まるのであって、決して群れているのではない。
ある意味、元祖"大学"のようなものと言えよう。

そんな風に考えると、"金剛三昧"とは、天才的な閃きを感じさせる倭僧が、冗談半分に自称した名前をそのまま使った可能性もありそう。
もちろん、その倭僧は天竺に実際に行った訳ではなく、天竺に関する総ての書籍をアッという間に読み尽くし、それらを分析的に眺めた上で、疑問を感じたところを関係者に会って整理しただけ。その上で、それを印度旅行のイメージにまとめ上げることができる類い稀なる能力があったということ。概念思考に没入できる人だけが可能な所業である。・・・おそらく、成式は驚嘆したに違いない。ソグド商人達から断片的な情報を得てはいたが、それだけでは全体像が見えず、今一歩だったからだ。天竺全体を概念的に捉えているこの倭僧の話を聞いて、成式には、すべてが見えたのだと思う。

経典暗記とその解釈に明け暮れる高僧と盲目的に付き従うだけのエピゴーネン集団と化している宗派組織に嫌気がさしていれば、この倭僧と馬が合って当然。

中華帝国の比較文化論を心行くまで語り合ったに違いないのである。

どんな感じだったかは、想像がつくといういうもの。

中華"大"帝国樹立の決め手は、もちろん軍事力。それを統括する独裁者は不可欠で、それを補完するのが宗教勢力という構図。しかし、力を発揮するには、経済的裏付けと統治システムが不可欠であり、その要が官僚機構というに過ぎない。帝国化すればするほど、様々な人種や文化が入り乱れ、これを弄り回すのが官僚の仕事となる。
始皇帝の中華意識の凄さはソコ。兵馬俑の兵士はクローンではなく、個々に特徴を有しているのだから。様々な地域からあつめられた大集団であることが一目瞭然。帝国化を進めるなら多文化は必然である。
同時に、それは風習の違いを嫌う人達による差別主義の温床を育てることでもある。中央以外は下卑た者どもが生きていると見なすことによる嬉しさあってこその、帝国支配。帝国とは、差別感情を"大事にして"生み育てる温室のようなもの。

東方之人鼻大,竅通於目,筋力屬焉。
南方之人口大,竅通於耳。
西方之人面大,竅通於鼻。
北方之人竅通於陰,短頸。中央之人竅通於口。

無啓民,居穴食土。其人死,其心不朽,埋之,百年化為人。
録民,膝不朽,埋之,百二十年化為人。
細民,肝不朽,埋之,八年化為人。

息土人美,耗土人醜。

  [卷四 境異]

動物分類での記載も引いておこう。この発想は、現代でも使う偏見を交えた表現として知られる訳だ。比喩満載の"大説"を有り難がるのはやめにしたらと言っているようなもの。小説では、現実を直視し、どうしてそのような理屈になるかを考えヨというだけ。御託を並べることはない。
食草者多力而愚,
 草を食ふ者は力多く愚かなり、
食肉者勇敢而悍。 肉を食ふ者は勇敢にしてあらあらしい。
  [卷十六 廣動植之一]
この出典は「淮南子墜形訓」だが、それを微妙に変えている。そして、食穀者には触れていない。
食水者善遊能寒,食土者無心而慧,食木者多力而𡚤
食草者善走而愚,食葉者有絲而蛾,食肉者勇敢而悍,
食氣者神明而壽,食穀者知慧而夭。不食者不死而神。


動物に名を借りた、差別的言辞もよくあること。
環境が変われば、生態系が違うのは当たり前で、それに合わせた風習ができあがるだけだが、帝国中央官僚にとってはそれが不快だったりする。

蜀郡無兔鴿。江南無狼馬。朱提以南無鳩鵲。

蜀郡に、兔・鴿[=家鳩]無し。
江南に、狼・馬無し。
朱提より以南、鳩・鵲
[=かささぎ]無し。
  [卷十六 廣動植之一]
"山東無虎。浙江無狼。廣東無兔。蜀無鴿。"は、地誌的表現だけでなく、そこに中央官僚が抱く差別感情が籠められている可能性が大きいということ。

ちなみに、日本から、成式の"食肉者勇敢而悍。"と言う記述を見ると、どう映るか、一例をあげておこう。

"明の李自珍、歴代本草の内を撰ひ輯め、自己の見聞を加へ、之を廣めて本艸綱目を作り、品物大に備る。萬暦六年に成れり。---載ス所の品數 凡一千八百九十二種あり。"の貝原篤信編録:「大倭本草巻之一」。
この書には、「酉陽雜俎」の"食草者多力而愚---"の部分が引用されている。
そして、そこには、こんな話も。
 中華、及諸夷の人は人の肉を食ふ。
 五季の漢の隱帝の時、趙思綰、好て人の肝を食フ。
 軍中、粮盡れは婦女幼稚を軍粮とす。
 隋の朱粲も亦、人の肉を食ことを好む。
 此外にも人を食ひたる者多し。

言うまでもないが、成式はご存知の筈。しかし、そんなことを書く訳がない。仏教が入ってきて、ようやくにして、その風習を抑えることができたのだから。下手にその話を蒸し返せば、長命には食人肉と言うことで、大っぴらに再開されかねまい。

科挙を通じて、暗記能力発揮型の頭に改造してしまうと、中央官僚型眼鏡を通してしか見えなくなるということでもある。当然ながら、本人は違いを愉しんでいるつもりでも、実際は正反対。
浸み込んだ概念で、周囲の人々と騒ぐことができるから嬉しいだけ。洞察力ゼロというか、そのような発想を嫌う体質になっているのである。
詩作能力が高いといっても、実際のところは模倣能力でしかなく、創造力はゼロに近いがそれを認識できないのである。
そのかわり、馬鹿にしている周辺地域であっても、利あらばコロッと変身する。
中華帝国における仏教導入とはそのようなものでしかないと、成式は見抜いていたに違いないのである。

(「大倭本草巻之一」書き下し文引用) Marchhareの料理物語り・大和本草など
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 3」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.


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