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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.9.15 ■■■

蒸餅

後世に、こんな話は無駄とカットされたと思われる話をとりあげよう。・・・

范璋:
寶歴二年
[826年:敬宗],明經范璋居梁山讀書。
夏中深夜,忽廳廚中有拉物聲,范慵省之。
至明。見束薪長五寸餘。齊整可愛,積于竈上。
地上危累蒸餅五枚。
又一夜,有物扣門,因拊掌大笑,聲如嬰兒。
如此經三夕。
璋素有膽氣,乃乘其笑,曳巨薪逐之。
其物状如小犬,連却撃之,變成火,滿川而滅。(出《酉陽雜俎》)

  [續卷二 支諾皋中]
梁山に居住する范璋と言う、経典に明るい人の話。
夏のことだが、深夜まで読書に耽っていたという。
突然、厨房からモノを拉致するような物音が聞こえてきた。面倒なことだと思ってはいたが、そのままに。
夜が明けたので、見に行くと、長さ五寸余りの薪の束があった。見るからに、整頓され、竈の上に美麗に積まれていた。
それに加えて、さも危ない様子で、五枚の蒸し餅が置いてあった。
それとは別の夜のこと。
物の怪が門を叩いてから、手を叩いてしばし大笑い。その声はまるで嬰児のようだった。
そんな調子で三晩が経過した。
范璋は、正直なところ、むかっ腹が立ってきた。
そこで、今度は、笑いに乗じている際に、巨大な薪を曳いてきて、物の怪を駆逐した。
ソレは小犬の如き姿だった。しつこく追っていくと、火に変化し、川面一帯に拡がり消滅した。


ここでの"梁山"は、陜西省乾県の北方の山(西安西北約80Km)を指している可能性が高い。そこは、武則天[在位:690-705年]と高宗[在位:649-683年]が合葬されている巨大な墳墓"乾陵"の地だから。(臣下や隷属した民族代表の石造だらけ。もちろん陪葬多数。)
小犬の様な物の怪とは、ソコの狛犬的存在ということでは。

そうなると、蒸餅は何かだ。

現代の中華料理用語における蒸餅とは、饅頭のような形で、独立して食するものではなく、料理を挟んだりして食べる蒸しパンのこと。甘さは余り感じられないが、砂糖が入っていることが多い。ただ、本来的には春節の吉祥「年餅」用。古代は、宗廟の供物だったろう。
すでに唐代では蒸餅が商品化され、点心化されていたようだから、現代とさほど変わらないかもしれぬ。
ただ、材料の穀粉だが、現代はもっぱら小麦だが、江南では米粉となる。さらに南だとタピオカ。長安はなんでも入手できたろうが、伝統から好まれたのは黍粉だったと見るべきか。
脱穀精製度は低かったろうし、黍だと、純白からはほど遠いから、かなり黄色味を帯びていた餅だったろう。現代でも、純白糖でなく、わざわざ黄色系の砂糖を加えたりすることがあるのも、その名残だろう。

しかしながら、ここでの蒸餅は、北方民族が"優良食物"とする小麦の筈。北方民族重視を旨とし、有能な官僚の抜擢を貫いた武則天の時代はそのような価値観だったということで。
言うまでもないが、蒙恩[=受恩恵]ということで、帝から蒸餅を賜るのである。・・・

右,今日蒙恩,賜臣等酒及蒸餅、環餅等。伏以時維秋社,慶屬年豐,頒上尊之酒漿,賜大臣之餅餌,既非舊例,特表新恩。空荷皇慈,豈伸丹慊,謹奉状陳謝。
  [全唐文第七部卷六百六十八 社日謝賜酒餅状]

それは、嬉しくてワクワクの図であろう。

読書人にしてみれば、そんな時代は終わったのだぞ、この亡霊達メというところか。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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