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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.10.15 ■■■

夫人の墓

「卷十三 冥跡」に収録されている、中華帝国の典型的な「幽霊」の話をとりあげておこう。
日本人にとっては、必読の文章と言えるかも。

と言うのは、日本における「幽霊」の概念とはかなり違うからである。それに「幽霊」という語彙も使われていない。

"物の怪"である「妖怪」の場合は、「鬼」と呼ばれているようで、たいていは、即座に容赦せず叩き潰すことになる。危険極まりない存在であり、異形のことも少なくないから、平和共存とはいかないのである。
しかしながら、主観的だからなんとも言えないが、可愛げな形で登場する場合も。そんな時は、対抗できる力があるなら、抹殺せずに、それなりの対処で済ますこともありうる。だが、どうあれ、お邪魔ムシであることは間違いない。

ところが、冥界に属する、"死者の霊"由来の「幽霊」に対しての態度は、これとは全く違う。(本来的には、これこそが中華帝国の「鬼」の筈。)
こちらの場合、死者の霊は魅惑的な女性のことが多い。しかも、情を交わしてしまう結果になったりする。
恐ろしいことと、その結末を薄々わかっていても、その魅力の虜になってしまうのだ。どういう訳か、これが基本パターンなのだ。当然ながら、冥界に引き込まれてしまう訳である。
それはそれ、死霊がお好きなのだから致し方あるまいということか。

それでは早速原文。・・・

長白山西有夫人墓,
魏孝昭之世,搜揚天下才俊,清河崔羅什,弱冠有令望,被徵詣州,夜經於此。
忽見朱門粉壁,樓臺相望。
俄有一青衣出,語什曰:
 “女郎須見崔郎。”
什恍然下馬,入兩重門,内有一青衣通問引前。
什曰:
 “行李之中,忽蒙厚命,素既不敘,無宜深入。”
青衣曰:
 “女郎平陵劉府君之妻,侍中呉質之女。府君先行,故欲相見。”
什遂前,入就床坐。其女在戸東立,與什涼。室内二婢秉燭,呼一婢令以玉夾膝置什前。什素有才藻,頗善風詠,雖疑其非人,亦心好也。
女曰:
 “比見崔郎息駕庭樹,嘉君吟嘯,故欲一敘玉顏。”
什遂問曰:
 “魏帝與尊公書,稱尊公為元城令,然否?”
女曰:
 “家君元城之日,妾生之。”
什乃與論漢魏大事,悉與《魏史》符合,言多不能備載。
什曰:
 “貴夫劉氏,願告其名。”
女曰:
 “狂夫劉孔才之第二子,名瑤,字仲璋。比有罪被攝,仍去不返。”
什乃下床辭出,
女曰:
 “從此十年,當更相逢。”
什遂以玳瑁簪留之,女以指上玉環贈什。什上馬行數十歩,回顧乃見一大冢。什屆暦下,以為不祥,遂請僧為齋,以環布施。
天統末,什為王事所牽,築河堤於垣冢,
遂於幕下話斯事於濟南奚叔布,因下泣曰:
 “今乃是十年,可如何也作罷。”
什在園中食杏,唯雲:
 “報女郎信,我即去。”
食一杏未盡而卒。什十二為郡功曹,為州裏推重,及死,無不傷嘆。

長白山の西に"夫人の墓"と呼ばれる地があった。
北朝北斉の第3代孝昭帝
[東魏の実力者高歓の六男:在位560-561年]の世のこと。
朝廷は、広く天下の俊才を求めた。清河
[@河北南]の崔羅什はまだ弱冠[二十歳]だったが、すでに名声を博していた。このため、召されて州へ赴任することに。詣でる途中に、"夫人の墓"の地を通りかかったのである。
朱塗りの門が忽然と現れ、白壁が見えた。さらに、その向うには楼臺を望む状況。
にわかに、青い衣の女が出てきて言うには、
 「女主人が若様に御目通り致したく。」と。
崔羅什はボゥーとなってしまい馬から下りた。立派な門を2つくぐって内に入ると、そこには、もう一人の青い衣の女がいて、さらにその先へ案内しましょう、と。
そこで、崔羅什はお断り。
 「拙者、旅の途中。
  突然のご招待にあずかりましたが、
  どのようなお方からか承知しておりませぬ。
  これ以上、深入りするのは宜しくなかろうかと。」
女は、それに応えて、
 「当家の女主人は、平陵
[@山東]の劉府君の妻でして、
  侍中をされている呉質の息女でございます。
  劉府君は、お先にお出かけになっており、
  それ故に、若様にお会いしたいとの由。」と。
ということで、崔羅什は中に入って、長椅子に腰かけた。女主人は扉の東側に立っていた。挨拶され、その涼し気な魅力に惹かれてしまった。
室内の二人の婢が燭台を持っていた。女主人はさらにもう一人の婢に、膝置を崔羅什にお出しするように命じた。
崔羅什はもとより文芸の才があるので、頗る風流な詩を詠むことができた。そんな交流になってはいたが、その女主人が人間ではなさそうな気もしてきた。それでも、心のなかでは息が合っていたのである。
女主人は、すかさず語る。
 「先ほどのこと。
  若様は、庭の樹木の傍らでご休息をおとりになっていました。
  私、そのご様子を拝見してましたの。
  その時の吟唱、それはそれは素晴らしいものでございました。
  そうなると、どうしてもお顔を拝見したくなりまして。」と。
崔羅什は尋ねることにした。
 「魏帝が尊父の公への書をしたためた際、
  元城の長官宛てにしたとか。
  この話は、本当でしょうか?」と。
女主人はそれに答えた。
 「実家の父が元城の長官に就任した日は、
 丁度、私の生まれた時でした。」と。
それを切欠に、崔羅什は女主人と、漢から魏までの歴史について論じあった。その内容は悉く《魏史》記載内容と符号していた。ただ、余りに多く語り合ったので、すべてが載っているか否かを見ることは無理である。
気になったので、崔羅什は訊いてみた。
 「あなた様の夫君は劉氏とのことですが、
  願わくば、そのお名前をお教え頂けませんでしょうか。」
女主人は、語る。
 「心苦しいのですが、
  劉孔才の第二子で名は瑶、字は仲璋でございます。
  有罪と宣告され捕われてしまい、
  それっきり返ってきておりませんの。」と。
それを聞いて、崔羅什は椅子から下りて、辞去することにした。
女主人は別れに際して、一言。
 「十年後に、又、お会い致しましょう。」
崔羅什はその思い出にと玳瑁製の簪
[=かんざし]を贈呈。そこで、女主人は指にはめていた玉環を贈呈。
崔羅什が、馬を数10歩進ませたところで、振り返って顧みてみると、そこには大きな墳墓があるだけ。
暦下
@山東済南に到着したところで、よく分からないとはいえ、頂戴した指輪をお布施として、僧侶に供養の齋事をたのんだ。
天統
[565-569年]の末、崔羅什は事所の責任者に就任し、その墳墓辺りで堤防構築を進めることになった。
そうこうするうち、部下で済南出身の奚叔布に、この話を語ったのである。
そして、涙ながらに言うことには、
 「実は、今年がその10年目なのだ。
  作業はさっぱり進みそうにない。
  如何ともしがたし、だろうか。」
ある時、崔羅什が園の中で杏を食べていた。
そして、ポツンと呟いた。
 「あの時の女主人のお方様。
  信をたがえず、拙者、今、お会いしに伺います。」
食べかけの杏がそのまま残った状態で、崔羅什は逝ってしまった。
崔羅什は、若き時から十二分にその功が顕著だったし、州でも重要な役割を担っていたので、その死を聞いて、傷心の思いから悲嘆にくれる人が多かった。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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