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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.6 ■■■

獺祭か、はたまた豬都か

獺祭と言えば、旭酒造が杜氏無しで醸した日本酒のブランド。23%まで磨いた酒は流石に清々しい感じがする。
その名称は、獺[かわうそ]の先祖祭儀から来ている[「礼記」月令]と言われている。
しかし、自分の周囲に未曽有なほど沢山の書籍を並べることが、ことのほかお好きなインテリ属の通俗名として作られた語彙との説も有力である。・・・
  「異俗二首 其二」 唐 李商隱
戸尽懸秦網,家多事越巫。未曾容獺祭,只是縱猪都。
点對連鰲餌,搜求縛虎符。賈生兼事鬼,不信有洪炉。


ただ、この語彙は"豪豬"という意味とされることもあるようだ。ブタのように貪欲ということなのであろうか。

それを踏まえて読まないと、単に、奇な動物を紹介しているにすぎないとなってしまい、全くつまらぬとの印象しか残らぬ話が収録されている。・・・

伍相奴,或擾人,許於伍相廟多已。
舊説一姓姚,二姓王,三姓汪。
洪水,食都樹皮,餓死,化為鳥都,皮骨為豬都,婦女為人都。
鳥都左腋下有鏡印,闊二寸一分,右無大指,右手無三指,左耳缺,右目盲。
在樹根居者名豬都,在樹半可攀及者名人都,在樹尾者名鳥都。
其禁有打土壟法、山鵲法。
其掌訣,右手第二指上節邊禁山都眼,左手目標其喉。
南中多食其,味如木藝。表可為履,治氣。

  [卷十五 諾皋記下]

マ、異様な動物"鳥都"が居るというだけの話である。

洪水で餓死者だらけで、霊鳥大群の"鳥都"になったとか、豚はすべて骨と皮のみになってしまった"豬都"だというところから来た名称なのだろうが、考えてみればそこにいる動物とは生き残りの方なのである。さすれば、鳥は毒蛇も喰う属と見るべきか。
旧説では、そんな氏族の姓名が"姚""王""汪"だ、という訳だ。要するに強権的な支配者層なのだろう。

考えてみれば、中華帝国の文化からすれば、亡者群に興味などあろう筈もなく、注目はもっぱら生き残る豚的餓鬼の方だろう。樹皮を食べようが、なにがなんでも生き残った者達だ。従って、"豪豬"と呼ぶ方が当たっていよう。
あるいは、獲れるだけの魚をあさって並べる"獺祭"を比喩的に使ってもよいのである。

つまり、"豪豬"、"獺祭"、"鳥都"、"豬都"はすべて、そういう類いの「動物」を指す言葉と言ってよいだろう。

さて、この文に登場する伍相廟だが、江都にある江水祠の俗称だという。[「水経注」卷三十淮水](呉王夫差に殺戮されて屍を投げ込まれた伍子蛋の怨念が潮流生み出したということか。)豚ではなく、いかにも獺がいそうな場所である。

これと、後半の呪術がどうつながるのかはわからぬ。

マ、呪術そのものが、マル秘だから、知れているようなものは半分冗談のような扱いか、役立たずということで廃れてしまったと考えるのが自然。わからなくて当たり前。
ただ、部分的にわかるものもある。
掌訣とは道教の指法方術。手指掌には細かい場所が設定され、それぞれに意味が割り振られている。そこを指で押すことにより、なんらかの効果を生むという呪術である。(按摩や指圧といった健康養生施術とは違う.)密教の呪術は手印だが、晩唐の頃は、それを凌駕する勢いがあったのであろう。

広がる土地に稠密な人口という、まさに「大地」の社会であり、供給が滞ると、膨大な餓死者が生まれる。現代でも、それはのがれられない。毛沢東の大躍進期にはいくら少なく見積もっても2,000万人を越えたと考えられている。
そんな目に合わぬよう、そして、例え遭遇しても自分だけは生き延びることができるよう、頼れるものは呪術しかない世界である。
そして、普段から飢餓に備えた食材も使うようにせねばということ。仙人的長生の食生活とは、そういう意味もあろう。仙人の行為は、ある意味、獺祭にすぎなかったりして。

と言うか、山に修行と称したミーハー族が大挙して押し掛け、"豬都"属ができあがっている状況を皮肉っているのかも知れぬ。

【付記】 「本草綱目」禽之四の"治鳥"に、主治の出典としてあがっている。「山海經」西山経の人面梟的鳥"𩇯"も引かれている。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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