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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.8 ■■■

楊元慎の解夢

周王朝には占夢官があったという。

魂魄的世界を思い描いているから、夢には天からのなんらかのメッセージが含まれている筈の思想なのだろう。
そんなこともあって「周公解夢書」に関心が集まるのであろう。理由のほどは知らぬが、これは魏書という結論がでているらしい。ただ、現代でも、解夢が優れていた人々の名前が伝わっており、中華帝国の官僚統制社会のなかでは、夢占いは重要な位置を占め続けているのは間違いなさそう。
どの時代の人かは調べていないが、こんな名前があげられているようだ。
 如趙直、宋濤、周宜、索、萬推、楊元

成式はこのうちの楊元の話を「卷八 夢」の冒頭に収録している。・・・

魏楊元能解夢,廣陽王元淵夢著袞衣倚槐樹,問元
言當得三公,
退謂人曰:
 “死後得三公耳。槐字木傍鬼。”
果為爾朱榮所殺,贈司徒。

魏の楊元慎は夢を解釈する能力を身に着けていた。
(広陽王元淵が十万もの軍勢で葛栄を討伐に出ようという時、)
広陽王元淵は奇妙な夢をみた。
袞衣
(王/公の着衣)を着て、槐の木に寄りかかっているのである。
これは吉兆に違いないということで、
楊元に問うことにした。
ご要望に応え、
 「三公の瑞兆に違いありません。」と。
(もちろん、それを聞いて広陽王元淵、欣喜雀躍。)
一方、楊元は退出後、人に言い放った。
 「広陽王元淵は死んでから
  三公の栄誉を得るということ。
  槐という文字は木偏に鬼なのだから。」
果たせるかな、広陽王元淵は殺され、司徒公追贈とあいなる。


夢占いというよりは、解字法に近い内容であるが、続く話も似たようなもの。・・・

許超夢盜羊入獄,元曰:
 “當得城陽令。”
後封為城陽侯。


明代の書でも記載されるくらいで、現代でも関心が高い話のようである。一種の風水的な信仰か。
  夢盜羊入獄,主出仕為百裏侯。[「斷夢秘書」]
こちらは、表意文字でなく、表音文字での解字法。盜=到、羊=陽で、獄を城と解釈した、強引なもの。

尚、冒頭の文章の内容説明は原文に無い情報が含まれているが、それは東魏 楊衒之:「洛陽伽藍記」卷二を見ているから。(長安の荒廃寺院巡礼随筆たる「續集卷五/六 寺塔記上/下]のモデル本である。)
そこには、上記以外にもう一本の話が掲載されている。・・・
建義初,陽城太守薛令伯聞太原王誅百官,立莊帝,棄郡東走,忽夢射得雁。
以問元慎。
元慎曰:
 「卿執羔,大夫執雁,君當得大夫之職。」
俄然令伯除為諫議大夫。

建義[528年]の初めのこと。
陽城太守薛令伯は、太原王が百官を誅し荘帝を立てたと聞き、すぐに任地を棄てて、東方へと逃亡。そして、雁を射落とした夢を見た。
楊元慎に尋ねたところ、
 「卿は子羊を執り、
  大夫は雁を執るもの。
  貴君は大夫職を得ることになりましょう。」との答。
その後しばらくして、
薛令伯は諫議大夫を命じられた。


これは、周禮の規定にあてはめただけ。

言うまでもないが、楊元慎は占い師と言うよりは、エスプリの士なのである。インターナショナルな交遊をことのほか好んだ成式とは正反対で、えらく社交を嫌った人。そんなこともあり、その名前は通らないが、マ、同類。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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