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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.4.9 ■■■

酉陽雑俎的に山海経を読む

--- 南山経 ---

【おことわり】「酉陽雑俎」所収のお話の数は今村整理番号では1244。数が膨大なので、未だに、すべてをご紹介しきれていないが、それを中断して、怪奇モノだらけの絵本と呼ばれている有名な「山海経」を見ておこうと思う。すでに何回も引用しているが、この本に対する"見方"も重要と考えるからである。尚、素人が注記無しの原文に直接当たっているだけなので間違いは多いかも知れない。その原文だが、版は色々ありそうで、ここで用いているのが一般的かどうかはなんとも言えない。

「酉陽雑俎」を読み通すと、「山海經」をじっくり眺めた様子が伺い知れる。

郭璞 注:「山海経」は奇書とされているにもかかわらず。しかし、誰もが、この本は空想の怪物の寄せ集めでしかなく、とるにたらぬモノと見なしていた筈である。もしもそれが当たっていたとしたら、成式が興味を示すことはなかったろう。
このことは、表現の仕方を直截的に解釈すれば突拍子もないモノのオンパレードになってしまうが、そのように読むように作られてはいないと見なしたということになろう。・・・つまり、地域の特徴を際立たせるため、現実離れした表現になっているにすぎないということ。つまり鳥獣戯画の表現のように、小さくても大きさを揃えてしまうとか、多少大型ならそれを大々的に誇張しているということ。さらに、ヒトの姿や仕草を面白可笑しく加えることで、イメージが湧くようにすしている訳だ。それに加え、大胆な形態変化を工夫し、地域の「独自性」を訴えているだけのこと。
そして、何よりも重要なのは、「酉陽雑俎」と同じく、ネタは著者が創出したものではなく、社会的に存在していた話である点。編纂しているだけで、モトネタを創作してはいない。いかに怪奇に映ろうが、当時の人々は「事実」として認識していた話ということ。

現代でも、地域毎の特徴を文章で示すのは、簡単ではない。誇張表現は、ある意味、差別的表現が含まれたりしかねないが、そうでもしないとなかなか特徴を掴むことはできないのが現実。
小生の体験でも、モンテネグロ、クロアチア、ウクライナ、ベラルーシといったバラバラな地域出身のほぼ同年齢の女性に入れ替わりコーヒーをサーブしてもらったことがあるが、当たらずしも遠からずの出身地推定はできたものの、小生の言語能力では、それを文章表現するのはほとんど不可能だった。
獣にしても、チワワ、ブルドッグ、グレートデンを犬とまとめる理由も簡単に説明できるものでもなかろう。

マ、もともと、この書は、線画集だったのである、
その簡単な説明書きが現存している文章と見た方がよかろう。従って、現実を知らずに、絵の印象から書いた文章も紛れ込んでいたりするかも。そのような書籍と考えて読む必要があろう。
この場合、注意すべきは、その「絵」は現存している筈が無いという点。
つまり、今、我々が眺める"奇怪"な「山海経の絵」とは、後世の絵師が、文章を読んだだけで勝手に描いた可能性が高いということ。(現存する絵は、清 呉任臣の販であり、元絵が存在したいたのkはなんともいえまい。欧州に残る絵の元はおそらくマルコポーロも持ち込み品の模写と思われる。)

どうでもよい前段話が長くなってきたので、ここで、本文に入ろう。

山海經の頭は「五山経」5巻。小生は、南[江西〜浙江]、西[峡西〜甘粛]、北[山西〜河北]、東[山東]、中央[河南〜湖北]、5地区の山岳地誌と見なす。(現代の地域名が当たっているかは定かではない。それに、周辺らしき記載もあるが、主要対象として、この程度のザックリした分別がよいと思う。ここで取り上げている南山経にしても、福建・広東的な記載もある訳で。尚、南嶽衡山(祝融峰:1,300mHigh)@湖南衡陽が中山経の山系8と11に記載されている山なのかは定かではない。)

大陸であれば、動かない山にこそ"お宝"ありで、関心が払われて当然。各地に棲んでいる民の方はたえまない戦乱で移動はつきものだし、絶滅させられるから、しいて風俗や産業を描く必要もないということ。

従って、それぞれの山を代表していそうな鉱物や動植物を示している書にすぎないともいえる。ただ、それを山系で分類したのが画期的。
文章はどれも紋切り型で、書き方のパターンがほぼ決まっている。どれを読んでも、知的な感興を覚えるような類の書籍ではない。
ただ、神話と絡む部分だけは例外的に書き方が異なっており、そこは後から無理矢理挿入した印章を与えるほど。しかし、おそらく、それは逆であり、すべてになんらかの「お話」があったのだが、その伝承がわからなくなっていたと見るべきだろう。

「五山経」5巻の次ぎは、「海経」になる。つまり、大陸の外側が対象ということ。
この部分は、世界全体がわかるように、海外、海内。(海内)大荒の3重構造になっている。それぞれ、四方に分け、そこに存在する国々の名称をほぼ網羅的に並べている書である。その場合、各国の風土的特徴をできる限り伝えるべく、象徴的動物の形で描いたということだろう。そのお蔭か、ここも怪奇なものが多い。

とりあえず、その「五山経」から眺めてみたい。

イの一番は、南山経だが、ここは約40山を3山系に分けて記載している。
当然ながら、それぞれの山には山神が住む訳だが、山系毎にその姿が違うのである。(龍首鳥身, 鳥首龍身, 人面龍身)前2山系列は"鳥"山であり、残る1つの山系も怪鳥だらけということだから、この方面は"鳥"信仰が根付いたことがわかる。

鳥以外の"怪"動物も並んでおり、いかにも空想的に映るが、それは端から実在動物ではあるまいと決めつけているからではないか。記載情報が少ないので推定ははなはだ難しいが、獣の場合は、それなりに該当候補を考えることができそう。尚、植物や鉱物については、検討対象から外した。以下。鳥に関係する部分を青色、小生が推定した実在動物名は緑色で記載してある。・・・

ついでながら、この地を江西〜浙江と規定しているので、そこらをご勘案の上、眺めて欲しい。考古学的な半常識(この先、くつがえる可能性も高い。当たり前だが、中華帝国は常に政治優先。情報丸呑みは避けた方がよい。)だと思うが、この地区は、河姆渡遺跡[B.C.5000-B.C.4500年]@浙江杭州湾南岸〜舟山群島や馬家浜遺跡[B.C.5000-B.C.4000年]@浙江杭州湾北岸〜太湖を擁している。ただ、「山海経」全体で言えは、黄帝系とこの地域との角逐の話が色濃いと言えよう。特に、最終巻「海内経」の最後の結語は、禹による九州支配完了。換言すれば、敗者は揚子江デルタ近隣の勢力ということであり、山経はそれ以前のこの地域の古層信仰を書いていると見て読む必要があろう。
とはいえ、内容的には、玉器重視が特徴的な良渚文化[B.C.3500-B.C.2200年]@太湖の頃の状況を一番反映しているのではないかと思われる。
(玉とは、山の産物であり、山信仰の象徴である。[本稿では、訳がわからなくなるので鉱物の記載はカットした。]反山遺跡#12墓出土品には、鳥羽帽人面鳥爪足の神人が獣面目玉を雷紋手で抱える紋章があるし、#17には"玉鳥"と、鳥信仰が確認できる。この神人像は、抽象度という点ですでに獣的表象を大きく越えており、地域広範に現れるというから、すでに部族トーテムでなくなっている。地域共通の神霊なのだろう。)
尚、四川盆地の三星堆文化は、この地から逃れた人々が築いたと見ることもできよう。

《南山山系》 ▲䧿=首
🐉 山神は龍首鳥身
(西海のほとりから東方向)
 ▲招揺之山的獣・・・白耳 伏行人走→早期絶滅狒々?
 ▲堂庭之山白猿
 ▲翼之山怪獣, 怪魚, 蝮虫, 怪蛇
 ▲陽之山的獣鹿蜀・・・白首虎文赤尾文謠音→早期絶滅縞馬?
   旋龜・・・→大頭亀?
 ▲柢山有翼羽牛的・・・陵居蛇尾下留牛音→淡水海豹?
 ▲亶爰之山的獣・・・有髦自為牝牡→麝香猫亜種?
 ▲基山的獣・・・九尾四耳目背→脂肪尾羊原種?
   𪁺𩿧・・・三首六目六足三翼
 ▲青丘之山的獣[食人]九尾狐・・・9尾 嬰兒音→豺/Dhole?
   鳩的灌灌・・・呵音
   人面・・・鴛鴦音→淡水瘤鯛?
 ▲箕尾之山
🐉 山神は鳥首龍身。
 ▲櫃山的獣貍力・・・有距狗吠音
   鴟的・・・人手痺音
 ▲長右之山的獣長右・・・四耳 吟音→日本猿類縁亜種?
 ▲尭光之山的獣・・・ 穴居而冬蟄
 ▲羽山蝮虫
 ▲瞿父之山▲句餘之山
 ▲浮玉之山的獣[食人]・・・牛尾 吠犬音→獅子の一種?
   
 ▲成山▲会稽之山▲夷山▲僕勾之山▲咸陰之山
 ▲洵山的獣・・・無口不可殺
 ▲勺之山▲区呉之山
 ▲鹿呉之山的獣[食人]蠱雕・・・水棲有角嬰兒音
 ▲漆呉之山
🐉 山神は人面龍身。
 ▲天虞之山
 ▲祷過之山犀, , 象
   人面鵁的瞿如・・・白首三足自號鳴
   虎蛟・・・蛇尾鴛鴦音
 ▲丹穴之山鳳皇・・・五采文
   (飲食自然,自歌自舞。)
   (首文曰コ,翼文曰義,背文曰禮,膺文曰仁,腹文曰信。)
 ▲発爽之山白猿
 ▲旄山怪鳥@育遺谷
 ▲非山蝮虫
 ▲陽夾之山
 ▲灌湘之山
怪鳥
 ▲
鮒的・・・毛豚音
 ▲令丘之山
人面梟的・・・四目有耳自號鳴
 ▲侖者之山
 ▲禺之山
怪獸, 大蛇
 ▲南禺之山
鳳皇,

おわかりになると思うが、儒教勢力が挿入した文章ですゾ、といわんばかりの箇所がある。山経は純然たる地誌で埋まっており、中央統制も感じさせない記述なのに、ココだけに道徳的なご教訓話を入れ込もうとすれば浮き上がってしまうのはわかりきったこと。マ、誰も逆らわなかったのであろう。
その部分を取り去ると、対象はone of themでしかなく、単に5彩色の模様があって目立つ鳥という以上でも以下でもない。自然体で生活し、自分から踊り出すという楽しげな鳥というに過ぎぬ。実在する極楽鳥がモデルか。
おそらく、5行にピッタリの色合いということで、聖鳥に格上げされたのであろう。そういえば、朱雀に該当しそうな鳥もいない。
このことは、中華帝国思想に現れる前の姿を留めている書ということになる。

【参考】 冒頭にも述べたが、残存する"原書"には相当な乱れがあることが、すでに後魏 道元:「水經注」卷一河水で指摘されている。・・・"《穆天子》, 《竹書》及《山海經》, 皆埋縊久, 編韋稀絶, 書策落, 次難以緝綴;後人假合, 多差遠意, "

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