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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.22 ■■■

インドシナのK齒國

K齒國は「山海經」海外東経[→]で稲食の地で、蛇を使う(使でなく啖の版もある.)と紹介されている。
大荒東經[→]では、黍食で四鳥を使う国とされ、"帝俊→生→K齒[姜姓]"との伝承を記載している。

その場所については、倭にも関係するので諸説乱立状態のようだ。
そうなるのは、ついぞの「資本論」のように、「史記」を崇める人達がおり、甌越之民が黒歯雕題との記載にこだわるからだろう。[趙世家第十三]
これだけの情報で判断するのは無理なのに、なんとしても強引に解釈したいようだ。

実際、インドシナ半島にある西屠国もK齒習俗とされているのだ。
普通に考えれば、お歯黒文化圏は倭までつらなる太平洋沿岸・島嶼の広域となろう。「史記」が関心を示す対象とは思えない。
【西屠国】
  《異物志》曰:
  西屠国在海外,
  以草漆齒,用白作K,一染則年不復変。
  一号K齒。
   [「太平御覧」卷七百九十 四夷部十一]

この西屠国だが、隣国はこんなところ。・・・
交趾[現ベトナム北部(紅河中下流域)],林邑[現ベトナム中部],扶南[現カンボジア〜ベトナム南部],林陽国[扶南の西].

成式は、どう考えてのことなのかわからぬが、この西屠国を紹介しているのである・・・・

西屠俗,染齒令K。

ひょっとすると、本来の黒歯国はずっと北にあったと推定して、こんな文章にしたのかも。

中原の武力勢力の侵攻が続くので、その地から逃げてきた民が作ったのが西屠国だろう、と考えた可能性もあろう。
勿論、倭も同様にして生まれたと考えていた筈、と見る訳だが。

そう思うのは、国境標識として設置された"銅柱"の話が別途収載されているからだ。 [→「馬留」]

そこでは西屠国の名前は登場しないが、恣意的に書かなかったということ。・・・
環王,本【林邑】也,…
又有【西屠夷】,蓋援還,留不去者,才十戸。

  [「新唐書」卷二百二十二下 列傳第一百四十七下 南蠻下 環王]
《交州以南外国傳》曰:
有銅柱表,為漢之南界,
左右十餘小国,悉属【西屠】。
有夷民,所在二千餘家。

  [「太平御覧」卷七百九十 四夷部十一]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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