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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.24 ■■■

突厥の扱い[続]

突厥は、モンゴル高原のチュルク系騎馬遊牧民の"可汗"国家というのが一般的見方。[→「突厥の扱い」]

漢籍では、"匈奴之別種"となっている。おそらく母系。但し、トーテム先祖上では"終狼種也"とされている。[唐 李延壽:「北史」列伝第八十七 突厥]  [唐 令狐コ:「周書」巻五十列伝第四十二異域下 突厥]

成式は、匈奴勢力圏の西北域の部族連合たる堅昆は、非狼種だから、決して間違うなと。・・・

堅昆部落非狼種,
其先所生之窟在曲漫山北。
自謂上代有神與牛交於此窟。
其人髮黄、目香A赤髭髯。
其髭髯K者,漢將李陵及其兵衆之胤也。

  [卷四 境異]

確かに、トーテムを肉食の狼とする民と、草食角獣たる雌牛の民が同一民族とは考えにくい。
堅昆語は雌牛のチュルク系。一方、匈奴語は狼のモンゴル系ということになろうか。

それに、堅昆は場所的にも、匈奴的文化とはかなり異なっていておかしくないし。(祖先神と牛が交わった洞窟がある曲漫山は、フブスグル湖[突厥語"青い水"]西北のアルタイ〜サヤン山脈辺りを指すと見て。)

素人的には、トルコ=チュルク=突厥だが、本来のチュルクは堅昆や契骨/キルギス@現ウイグル[回/維吾爾系]ということかも。
言語的には、チュルク系に入るのはこんなところ。・・・
 トルコ, トルクメン
 ヴォルガ, ハザール, フン
 タタール, クリミア, カザフ, キリギス
 ウズベク, ウイグル


唐 太宗期[在位:626-649年]には、燕然都護の堅昆府都督が置かれた。当然ながら、堅昆の領袖も都に来訪した訳で、どのような容貌か知られていた筈。
その風貌は、髮黄-目-赤髭髯と、まさに異人。
ただ、その地域には黒髭髯の人々も混じっていたのだろう。
従って、それは、匈奴と戦ってやむなく降伏した李陵[n.a.-B.C.74年:司馬遷がかばって宮刑に処されたことで知られる。]の軍勢の末裔と見なした訳だ。

ユーラシア大陸のステップ遊牧民の文化を考える上で、なかなか含蓄ある指摘といえよう。

まず第一に、言語や宗教が全く異なっていても、コミュニケーション可能ということ。裏をかえせば、あくまでも伝統を重視し、標準化を嫌う体質の部族だらけだったことになる。
本質的には移住民であるから、生活文化こそがアイデンティティそのものであり、非母国語使用強制はそれを捨てろと命令されたのと同じこと。従って、部族間の対話は、たまたま両者がマスターしていた非母語を使うといったスタイルが好まれた筈である。
もう一つ特徴的なのは、各部族は信仰的に一丸だが、それを束ねる国家は、そのような精神世界には踏み込まないことを大原則としていたように思える点。そこだけ見れば、異人に対して極めて寛容な社会だが、ミクロの部族内では文化存続のために徹底的な非寛容を追及せざるを得なくなる。
この矛盾を止揚するには、独裁者によるスリムで強靭な軍事国家樹立か、部族長総員一致を旨とする大会議体を創るしかなかろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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