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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.27 ■■■

長安での刺青人気ぶり

市にはスタンプ刺青商売があったりして、[→]一種のフィーバー状況を呈していたのではないかと思われるが、長安では、大道での見世物的入墨も行われていたようだ。・・・

寶歴中,長樂裏門有百姓刺臂。
數十人環矚之。
忽有一人,白屠蘇,頃首微笑而去。
未十歩,百姓子刺血如衄,
痛若次骨,俄頃出血鬥余。
衆人疑向觀者,令其父從而求之。
其人不承,其父拜數十,
乃撚撮土若祝:
 “可傳此。”
如其言,血止。

寶歴[825-827年]のこと。
長安の長樂宮の名で知られる坊里の門で、
百姓
[一般人]が腕に刺青の施術を受けていた。
それを取り巻いて注視する人々、数十人。
忽然と、一人の男がその中に。
白い裾付の衣服に、庇のような被り物の出で立ちだが、
首を傾けて微笑んで立ち去った。
10歩も行かないうち、
百姓の刺した箇所から鼻血
[衄]のように出血。
骨に沁みるような痛さを訴えた。
かれこれ、出血量は1斗余りにも達しただろうか。
衆人は、観ていたあの輩が疑わしいと言いだした。
そこで、百姓の父が後を追い、探し求めた。
しかし、その人、預かり知らぬことと言うだけ。
そこで、その父、数十発お見舞い。
すると、ひとつまみ
[1cm3]の土を撚り、
放り清める仕草をして、
 「これをお渡しいたそう。」と。
その言葉通り、出血は止まった。


真皮まで刺すだけで、血管を傷つける手技ではないから、一時的に血が出ることはあるが、そのうち泊まるもの。
要するに、馬鹿な真似をするものだなとチラ見をした士人がいたというだけのこと。観衆は一般人であり、痛さをこらえて刺青をするのを立派な若者と考えているのに、それをせせら笑うかの如き士人は許せぬということでは。

○ 東街一条の長楽坊には興唐観と大安国寺があった。
○ "白"は士人の服装らしい。

 (近年品官緑袍及舉子白襴下皆服紫色,亦請禁之。[「宋史」輿服志五])
○ "屠蘇"は「巻二 壺史」で龜茲板の呼び名とされている。
 [今治為屠蘇也。] [→「唐朝道教の変遷」和璞[3]]
 従って、この単語には、"こけら屋根"的なイメージがあたえられていると見てよいだろう。尚、今村注では日よけがある冠と。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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