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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.15 ■■■

斉国景公墓

「卷十三 屍」には、盗掘から逃れるための王墓の仕掛けが詳述[→]されているが、正式な発掘もあったようだ。・・・

貝丘縣東北有齊景公墓,
近世有人開之,
下入三丈,石函中得一鵝,鵝回轉翅以撥石。
復下入一丈,便有青氣上騰,
望之如陶煙,飛鳥過之輒墮死,遂不敢入。


貝丘縣@山東には、景公[戦国七雄の1つ斉の第26代,在位:B.C.547-B.C.490]の墳墓あり、とくれば、ふ〜ん、で終わりかねない。多分、それは中華帝国中央ではないため、できる限り無視する習慣ができているから。

「史記」の紹介では景公は"好治宮室,聚狗馬,奢侈,厚賦重刑"とつまらぬ扱いだが、この期間は、治安が安定し繁栄を謳歌していたようだ。
と言うのは、その墓は盗掘されたとはいえ、現存しており、年代的には秦始皇陵[建造:B.C.208〜B.C.246年]の兵馬俑より数世紀前だというのに、すでに巨大な殉馬坑が存在していたことが判明したからである。
  【Album Archive@Google】斉国歴史博物館 斉国景公墓殉馬坑
斉国君王貴族の墓地はこの故城地域に密集しており、その規模も半端ではない。墓室の周囲になんと600匹[頭]もの馬が埋められていたのである。[(博市)臨区政府: "斉国墓葬的考古発掘"2016-12-14]

目的はわからぬが、唐代にも発掘があったようだ。

特筆すべき出土品はなかったようだが、地下3丈に収められていた石函のなかに一羽の"鵝/ガチョウ"、というのがなんとも不思議。翼を回転させて石を発射したというから、成功な工芸品だろうか。景公のペットの模造かも。マ、なんらかの信仰と考えるのが自然であろう。
 日出銜翅而舞,名喜白鵝。[「洞冥記」]

さらに1丈下には、"青氣"がふつふつと。まるで陶窯の煙のようだったというから、凄い。飛ぶ鳥もたやすく墜落の憂き目というのだから、猛毒蒸気が立ち上っていたのだろう。おそらく、こうした仕掛けは珍しいものではないから、籠の鳥を放してどうなるか試したに違いない。
この結果を見て、当然ながらそれ以上の侵入を諦めた訳である。

殉馬坑の様子を見れば、この話もまんざら作り話とも思えない。君王墓であれば、水銀プールが底に存在していてもなんらおかしくないし、水銀の化学反応は鍍金技術で緻密に調べられていたから、毒ガス発生の仕組みを作るなど訳ないことと考えるべきであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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