表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.7.17 ■■■

喪礼

葬儀の礼は、理由がよくわからないものが多いのが普通だが、これには納得。・・・

近代喪禮,初死内棺,而截亡人衣後幅留之
又内棺加蓋,以肉飯黍酒著棺前,
搖蓋叩棺,呼亡者名字,
言起食,三度然後止。

最近の葬儀の礼。
死んだらすぐに遺骸を棺内に。
しかして、亡骸の衣類の後身頃の幅を裁断し別途残しておく。
遺体が入った内棺に蓋をしたら、肉、飯、黍酒、を、
わかるように棺の前に備える。
その上で、先ずは蓋を揺らし、棺を叩き、
亡者の名前と字を呼ぶ。
「起きて食べなさい。」と3回声をかけて、止める。


葬儀の宗教である儒教の儀典では、「還っておいで。」と、屋根の上から叫び、そのあとに食事となる。
所謂、招魂復魄儀式だ。・・・
 及其死也,升屋而號,告曰:
 「皋!某復。」然後飯腥而苴孰。

  [「禮記」禮運第九]
この辺りは、地域によって様式は多少違うが、霊魂の存在を信じるのであれば、どのような部族や地方でも似たりよったりではなかろうか。肉体から離れていった魂を呼び戻し、息を吹き返してもらいたいということなのだから。
ただ、中華帝国の秩序を重視する儒教の場合は、この手の儀式に於いても、勝手な振る舞いを徹底的に嫌う。そのため、宗族の社会的地位、そのなかでの親族の位置、地域等々を勘案した、"等級"に応じた細かな手順が設定されるのが普通。それを"規則"として遵守することが要求されるのである。
これに敵対する輩は根絶やしにすべしというのが、この宗教の特徴と言ってもよかろう。

絶命時点から、大声で哭き続けることも重要な"規則"であり、その実行が難しければ、専任者を雇う必要があるほど。
納棺についても色々な流儀があるだろう。
これも、そんな規則臭い。・・・

琢釘及漆棺止哭,哭便漆不乾也。
釘を打つ時と棺に漆を塗る時は、哭くのを止める。
哭いていると、漆が乾かないからである。


棺を厳重に囲むため、外箱[椁]を使っている可能性もありそうだが、どうあろうと魂が去っても、遺骸にはまだ魄が残っていると考えるから、動き回られないように棺を密閉する必要がある。
釘を打つ際に静かにするのは、魄が気を散らして棺外に出ないようにということだろう。
魄を落ち着かせるためには、土葬しかない、ということになろうが、木製の棺は腐食するので、しっかりと漆で固めるということか。腐りにくい材質の木材の使用、松脂塗布、漆喰固めと同じ発想と思われる。古代の弁柄にも、同じ効果があるのかも。

但し、すべてを隔離してしまうと、寂しいから、故人のなにかを残そうというのが、布裂なのだろう。

釈尊の葬儀は、歌舞、花飾りや焼香を長期間行った後、火葬だった。言うまでもないが、これが仏教のしきたりという訳ではなく、当該式典を執り行った部族の風習をそのままとりいれただけに過ぎぬ。解脱無き輪廻信仰のバラモン教の流儀を受け入れたことになる。
つまり、もともとの仏教が旨としていたのは、特別の規則に縛られず、簡便に行うことだったといえよう。

唐代の仏教信仰者の葬儀がどのようなものだったかは知らぬが、臨終期に尊師を呼び懺悔と仏教帰依を終えて、読経の雰囲気下で息を引きとるというのが基本パターンだった可能性は高かろう。その後は火葬だろうが土葬だろうが、なんでもかまわぬという姿勢では。
しかしながら、こうした葬儀仕様では、多くの人々の心の癒しにはつながらなかったであろう。従って、祈祷と儒教的な葬儀を取り入れた形式に変わっていったと見て、大筋では間違いないと思う。
ただ見かけは似ていても、大乗仏教と儒教の葬儀観は本質的なレベルで異なる。在家の故人の死後出家を僧侶が計らい、その後、解脱して仏になることを手伝うために、読経を繰り広げ、関係者も布施をするといった観念が根底にあるからだ。式典を簡素にすることを目指している訳ではない。
儒教にしたところで、規則規則の体質なのは確かだが、懐勘定が許す限りですべての財と精力を葬儀に注力すれば十分となるのは当たり前。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com