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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.10.7 ■■■

佛道互彰互顯

"佛道並存+互彰互顯+同尊共榮"の話。・・・

衡嶽西原近朱陵洞,
其處絶險,多大木、猛獸,人到者率迷路,或遇巨蛇,不得進。
長慶中,有
頭陀悟空,常裹糧持錫,夜入山林,越侵虎,初無所懼。
至朱陵原,遊覽累日,捫蘿垂踵,無幽不跡。
因是,憩於巖下,長曰:
 “饑如此,不遇主人。”
忽見前巖有
道士,坐繩床。僧詣之,不動,遂責其無賓主意,復告以饑困。
道士起,指石地曰:
 “此有米。”
乃持石,深數寸,令僧探之,得陳米升余。
即著於釜,承瀑敲火煮飯,勸僧食,一口未盡,辭以未熟。
道士笑曰:
 “君止此,可謂薄分。
  我當畢之。”
遂吃硬飯。又曰:
 “我為客設戲。”
乃處木梟枝,投蓋危石,猿懸鳥,其捷閃目。
有頃,又旋繞繩床,劾歩漸趨,以至蓬轉渦急,但睹衣色成規,攸忽失所。
僧尋路歸寺,數日不復饑矣。
  [續集卷三 支諾皋下]

衡嶽の西原は地理的に朱陵洞に近い。
其の場所は滅多に無いほどに険しい。
大木が多く、猛獸が棲息している。
そこに到達した人もいるが、路に迷ってしまうのがオチ。
あるいは、巨大な蛇に遭遇し、さらに進むことができないのである。
長慶期
[821-824年]のこと。
頭陀[求仏道修行僧]に悟空という者がいたが、糧食を包んで、錫杖を持ち、夜に山林に入るのを、常としていた。
それこそ、
[湘水南に棲む水牛的一角獣@山海経海内南経]を越え、
虎の領分に侵入するといった具合で、
懼れる所無しの風情。
朱陵原にもやってきて、何日間も遊覽して過ごした。
蔦を掴んで懸垂し、幽玄の地など無くなるほど、すべてを踏破。
そんなこともあって、
/脚底老開裂の状況に。
そこで、巖の下で休憩することに。
長々と嘆息し、言うことには、
 「飢餓感を覚えている上に。
  喉も渇いているというのに。
  さっぱり、主人に出会わぬものヨ。」と。
すると、忽然と、目の前にある巌に
道士が出現。
繩床に座していた。
そこで、僧は道士の所へ詣でたが、さっぱり反応しない。
遂に、僧は、意あって来訪した賓客に対してけしからんと。
ともあれ、飢餓感にさいなまれていると告げた。
そうすると、道士はたちまち立ちあがって、
地面にある石を指さして言った。
 「そこに米がある。」
そこで、を使って、石を切った。その深さ数寸。
僧にそこを探すように命じられ、結果、1升余りの米を得ることができた。
即、それを釜に入れ、瀑布の水を加えて火にかけて煮て、飯を作った。
僧は勧められるママ、一口食べたが、まだ煮え切れていないので、それ以上はお断りした。
それを見て、道士は笑いながら言った。
 「君はそんなものでよいのか。随分と、少食だネ。
  それでは、吾輩がそれを食べよう。」と。
遂に、その硬い飯を食べきってしまい、言った。
 「お客様のために、拙者の戯れでもご覧にいれよう。」と。
木に飛び、梟のように枝に留まり、蓋を投げては危ない石に立ち、猿のように懸垂し鳥の如く動き、その敏捷さは目が閃になるほど。
暫くして、繩床を旋回して放り投げ、劾歩しては漸時趨走し,以至蓬の様に回転したかと思えば急流の渦のようになり、ただただ衣の色だけが見えるだけに。
忽ちにして、どこにいるのかわからなくなってしまった。
僧は路を尋ね、寺に帰ることができた。
数日の間、食べなくても飢餓感が現れなかった。


南岳衡山一帯は聖地であり、八百茅庵ありという人気の修行の地でもあった。その東には湘江が流れている。
後世の配置と思われるが、東原には8道観、西原には8仏寺がある。
両者は共存しているのである。

この話では、仏僧が道士とつきあうことになるが、両者に政治あるいは宗教という観点での対抗意識はほとんど感じられない。相手を修行者として認識しており、その行為に敬意を払っているような書きっぷりである。
と言うか、仏僧が聞こえるように語る独り言を見ると、そのような交流はすでに当然視されていたようだ。

なんの摩擦もおきずに共存できたのは、そのような関係が、ここ南岳ではできあがっていたということであろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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