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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.14 ■■■

金剛経のご利益話[予定入滅譚]

一行和尚は普寂禅師に拝礼の後、部屋に入り入滅との話が掲載されている。[→]
十分生きてきたからということで、一種の安楽死的自殺の可能性がありそうだが、よくわからない。

僧だからといって、自殺が禁じ手という訳でもなかろう。

自殺を罪と考えるのは、造物主から命を与えられておきながら、神へ反抗するつもりか、と考えるからで、それは仏教の世界観とは違う。それに、釈尊の実例が示す通り、開悟したからといって、肉体的な苦痛がなくなる訳ではない。理屈では、そのような苦痛など乗り越えられる"筈"ではあるが、それは常に成り立つ訳ではない。意識を制御できなくなってきたら、自殺選択は自然な流れであろう。

日本経済が上り調子の1983年11月と、いたって古い話だが、禅専門道場の老師が僧堂の廊下で首つり自殺と報じられたことがある。還暦を過ぎた年齢だから、原因は老人性鬱病と見られているが、大本山の管長という重責を担っており、引退が簡単ではなかったとすれば、責任感からの自殺もありえそうな気もする。日本社会は、そのような姿勢を称える傾向があるからで、いかに禅僧といえども、その影響から免れ得まいだろうから。

冒頭から、こんな話をするのは、金剛経のご利益話に自ら死期を定めた在家信者の話が収録されているから。
それこそ、ご利益のお蔭で、"天国つまりは浄土"に行けたとか、"地獄"に入れられそうなのに生還できたとのお話になるのが普通だと思うが、この話には、そのような部分が欠落しているのだ。(ほとんどの人が"地獄"往きになるとの時代感覚のなかで、ひたすら金剛経を念じていたから、それを回避できと読むべきかも。)・・・

[第15譚] 何軫妻劉氏常持 《金剛經》 浄土話
何軫,鬻販為業。妻劉氏,少斷酒肉,常持《金剛經》。先焚香像前,願年止四十五,臨終心不亂,先知死日。至太和四年冬,四十五矣,悉舍資裝供僧。欲入假,遍別親故。何軫以為病魅,不信。至除日,請僧受八關,沐浴易衣,獨處一室,趺坐高聲念經。及辯色,悄然,兒女排室入看之,已卒,頂熱灼手。軫以僧禮葬,塔在荊州北郭。
何軫は販売業者。
その妻の劉氏は、若い時から、酒と肉を断ち、常に《金剛經》を護持していた。先ずは、像の前でお香を焚いて、四十五年で命が尽きるように願をかけ、臨終の際に心が乱れないよう、前もって死去する日がわかるように、と。
それは、太和四年
[830年]冬だった。
四十五歳になったので、家舍、資産、装身類、悉くを供養として僧侶に渡した。その年になる前の時期には、親類や旧友にお別れの挨拶をと言うことで、遍歴。
何軫は、これは病魔に襲われた症状と考え、全く信じていなかった。
大晦日が来ると、在家弟子の解脱儀式の八關齋戒を行うため僧を招請。沐浴して衣をかえ、独りになって一室に入り、趺坐し高い声で經を念じたのである。
そのうち、色の差がわかるような時刻になったところ、
ひっそりと静まりかえった。
子女が部屋の中に入り込むとすでに息絶えていたのである。そして、頭の天辺が手が灼け付くほど熱かった。
何軫は、僧禮の形での葬儀を執り行った。
そうして造られた塔は荊州の北郭に在る。

仏の塔廟とされ供養されることになった訳で、最高の功徳をしたと評価されたことになる。[【12節】尊重正教分]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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