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2000.11.3
 
 


米国の大学の「知」の深さと広がり…

  マイクロソフト・ネットワークで国際ニュースに関する解説記事を執筆されていた田中宇氏が、米国ボストン地区に移られ、当地の大学の活動について感想をまとめている。ハーバードやMITでは、一流の頭脳に接触できる無料講演会のチャンスが山ほどあり、日々超多忙とのこと。(http://tanakanews.com/a0921harvard.htm)氏は、こうした体験をベースに、米国の大学における「知」の深さと広がりへの驚きを率直に語っている。

 確かに、彼我の差は、とてつもなく大きい。しかも、差は広がっていると考える人も多い。
 しかし、いまさら驚くべきことだろうか?

 日本で同じよう講演会を開催すれば、「著名人来訪」で大入り満員になるだろう。著名人の顔を見ることが嬉しい人が多いからだ。「知」の発掘になんの喜びも感じない人々が大勢集まる。
 それを一番良く知るのが、実はジャーナリストだ。常に、有名人の主張で読者を捉えようと図る。

 この記事でも、この鉄則は生かされている。

 ノーベル賞経済学者(サミュエルソン、ソロー、モディリアニ)の講演「インターネットがアメリカの政治にどんな影響を与えるか」---高等教育の成功をアメリカの発展の一因とした。但し、初等教育は成功していないと指摘したという。
 エズラ・ボーゲルの講演「なぜ日本はナンバーワンでなくなったか」---エズラ・ボーゲルは日本の大学を中心とする高等教育の最近の停滞を語ったようだ。硬直化して時代の変化に柔軟に対応する教育や研究ができなくなっていると見ているという。

 著名人に聞かないとわからない問題であろうか。それとも、新しい見方が提供されているのだろうか。

 日本のアカデミズムは欧米崇拝型だと批判する人が多いが、そうならざるを得ない背景を理解する必要があろう。「知」の深さと広がりの差は埋めようがない、と達観している学者は多い。


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