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2003.2.5
 
 


科学研究費問題(2:人件費)…

 日本のジャーナリズムは、科学研究費流用問題が発生すると、有名教授の腐敗糾弾のステレオタイプ記事で対応する傾向がある。このため、研究者は、ジャーナリストが不勉強と考えがちだ。
 確かに、90年代から、低レベルのジャーナリストが増えていることは間違いないが、この場合は違うと思う。

 アカデミズムの人達は、ジャーナリストが経費規定の非柔軟性を指摘しないため不満を覚えるらしいが、この問題はもっと根が深い。
 非柔軟性の議論を始めれば、規定の運用だけでは終わらない。間違いなく、構造問題に繋がる。
 日本のジャーナリストは、このような「難しい」問題をできる限り避ける。正解など無いから、どのような意見を述べても、批判の矢面に立つことになる。極めて損な役割だ。従って、若干の背景解説は行うものの、無難な、経費流用個人問題として取り扱うことになる。この結果、「腐敗する大学教授」トーンになる。・・・このように見た方がよいだろう。

 ジャーナリストが無難な路線をとると、実践志向の人が痺れを切らして、とりあえず運用規定を改定し、マイナーな点だけでも解決しようと動き始める。ところが、残念ながら、科学研究費では、このような動きは意味が薄い。
 というのは、経費流用の根本問題が人件費にあるからだ。経費規定の運用に柔軟性を持たせても、椅子や机を買えるが、現在の「雇用」の仕組みが変わらない限り、外部から研究者を活用するのは難しいのである。

 米国の仕組みと比較すると、日本型「雇用」の問題点が鮮明になる。(注意:全く構造が違う仕組みを例示しただけで、米国型が優れているとの主張ではない。)

 米国では、ほとんどの研究者は任期を限った雇用だ。これが、研究プロジェクト制度を支えている。表裏一体と言ってよい。
 研究プロジェクト予算には研究者の人件費が含まれる。従って、プロジェクトが無くなれば、ポストそのものが無くなるともいえる。(これを知りながら、人件費別の日本の予算と、人件費込みの米国予算を、恣意的に並べて比較する人達もいる。)

 一方、日本の仕組みは、科学研究費には原則人件費が含まれない。終身雇用が原則で、人件費は研究機関側が別途支払っているからだ。研究者が必要なら、僅かな「謝金」で、アルバイトとして使うしかない。
 新テーマを立ち上げたければ、質の高い研究者が不可欠だ。しかし、ポスドク1名には最低年間800万円は必要となる。杓子定規に科学研究費の運用原則に従っていたら、研究がスムースに進む訳がないのである。
 要するに、日本は、外部から優秀な研究者を登用する仕組みを排除してきたといえる。換言すれば、研究者の流動性抑制方針を採用して来たのだ。
 科学研究費の仕組み改定とは、この問題に踏み込むことを意味する。

 もっとも、こうした問題点は、昔からよく知られていた。このまま放置したのでは、日本のレベルは低下すると見る人も多かった。当然だろう。
 といって、文部科学省が変わるとも思えないから、新型の研究プロジェクトが次々とお目見えしたのである。抜本的な改革ではなく、財団経由の大型研究費支給で突破口をつくるという施策だ。
 こうした動きの特徴は、予算に人件費が含まれる点だ。ポスドク、テクニシャン、セクレタリーの雇用が自由になった。
 ようやく、経費流用の苦労がなくなったのである。

 おそらく、アカデミズムの人達にとっては、「革命」に匹敵する変化である。
 しかし、本当に革命的な役割を果たすことができるだろうか?。 ・・・ 

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