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2004.9.24
 
 


天動説の背景…

 小学生に聞いたところ、地動説を知っていたのが56%で、太陽が沈むのは西と正答した生徒も72%しかいなかった、との調査結果が報道された。

 2004年9月の天文学会発表に先立ったニュースリリースである。
 「常識喪失の小学生」とのニュアンスで記事を書けば、読者は間違いなく驚く。センセーショナルな話を好むジャーナリス達にとっては、とびつきたくなるトピックスだ。
 おそらく、いたるところで話題になっていることだろう。

 ところで、ニュースには、次のようなコメントがついていた。(1)

 「小学校では、天体や宇宙を大きくとらえられるような授業が必要だ」というもの。

 全面的に同意はしかねるが、気持ちは理解できる発言である。

 天文学に関心を持ってもらい、楽しみながら科学を理解させようと奮闘している人達(2)にとっては、天文ファンが増えない状況を歯がゆく思うのは当然だからだ。

 もちろん、最低学力を身に着けさせるカリキュラムを放棄したに等しい「ゆとり教育」は大問題である。人材育成の観点では、破壊的な施策が行われている。なんとかしなければ、国力衰退は避けられない。

 しかし、この問題と天文学離れは別の問題だろう。授業のカリキュラムを変えたからといって、事態は改善されまい。

 ましてや、天文学に関する社会教育施設を充実(3)したところで、効果があるとは思えない。

 大学教官を定年退官された方の一言が本質を語っているから、引用させて頂こう。

 「当時は天文学にあまり人気がなかったのですが、その後、人工衛星がどんどん打ち上げられ、電波天文学、X線天文学などの新しい分野が急速進歩し、宇宙論関係でも宇宙背景放射の発見などによって天文学の人気が急上昇しました。大学に入るのが数年後だったら、私は天文学を専攻できなかったと思います。」(4)

 進歩が目立たない領域に人気がなくなるのは、当然のことである。
 人工衛星打ち上げの話を聞きたかった時代は昔のことである。今は、衛星放送のメカニズムを聞きたい人の方が多いのではなかろうか。人々の心に響く研究成果さえあれば、人気などすぐに回復する筈である。

 学者の方々は考え違いをしているのではないだろうか。
 プラネタリウムで、北斗七星を見たからといって、科学に興味が湧くとは限らない。天文学ではなく、文学の世界に引き込まれるかもしれない。

 しかし、これは科学離れ現象ではないと思う。
 生活に直接繋がる産業技術やセンセーショナルな成果をあげた科学には、皆、振り向くが、それ以外の「高尚な教養」科学には、いくら呼びかけても、知らん顔をしていると見るべきだろう。

 ケータイやゲームマシンの話なら、子供は沢山集まってくると思う。しかし、木星の話では難しいのではないか。もちろん、数は少ないが熱心な天文ファンは存在する。しかし、それは、趣味の世界だ。模型飛行機マニアもいれば、天体観測マニアもいる、という次元である。

 小学生の常識喪失を指摘する前に、こうした現実を直視すべきだろう。

 例えば、東西南北のコンセプトがわからない小学生がいても驚きではない。

 地図を読む場合も、東西南北に意味はない。普通は、上下左右で見る。それこそ、カーナビさえあれば、コンパスなど不要である。都会でも、ケータイがあれば地図が不要になりつつある。
 そもそも、都会で場所を知るのに磁石を使う人など見たことがない。道探しで使われる言葉も、前後左右が基本だ。東西南北の説明など実用性皆無である。

 生活に必要な常識が大きく変わっているのである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.asahi.com/edu/news/TKY200409200233.html
(2) 活動例 [科学技術館でのライブショー“ユニバース”] http://universe.chimons.org/jsf/2004.html
(3) http://www.asj.or.jp/news/030807.html
(4) 内海和彦著「天文学と私」 http://home.hiroshima-u.ac.jp/soukaoba/dayori/6.shtml


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