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2005.3.14
 
 


和算の熱気は復活できるか…

 吉田光由の著した初等数学の標準的教科書「塵劫記」(1627年初版)(1)は当時のベストセラーだったらしい。

 一般家庭でも実用になる九九・そろばんの類から、金融や土木の業務計算、さらには○○算といった頭を使う応用問題まで、幅広い内容が含まれている。
 図が豊富で、わかり易く、面白いのが特徴である。武家だけでなく、一般の人々に広く読んでもらうために、何度も改訂を繰り返して、一家に一冊というところにまで浸透したようだ。(2)
 驚くことに、大衆文学書より売れたのである。

 算数はこれからの社会に欠かすことができない、という社会風潮に乗ったのである。

 恐ろしく昔の話だが、実は、「塵劫記」の中身の一部は現在も生き続けている。

 日本での、数に関する命名は、この本が基礎になっているからだ。10の3乗でなく、4乗毎に単位を設定する方法を決めた、といえばすぐわかるだろう。
 そう、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、・・・のことだ。

 このお陰で、千(1,000)、百万(1,000,000)、十億(1,000,000,000)、兆(1,000,000,000,000)となり、世界標準の位取りと微妙に違うため、常に数字表現に苦しまされる。

 しかし、なんといっても驚きは、皆が算数の問題を解くことを楽しみにしていた点だ。
 江戸時代に流行った「算額」になっている問題に取り組んでみるばわかるが、結構難しい。(3)こんなものを、道楽半分で考えていた人が沢山いたのである。

 そんな文化を戻せないだろうか、と考える人もいるようで、和算を教育に取り入れようとの動きがあるようだ。

 これは一寸方向を間違ってはいないか。
 算数は、芸術や文化とは違い論理の学問であり、いまさら和算を持ち込めば、混乱するだけではなかろうか。
 そもそも、教育は学校の専売ではない。「塵劫記」も家庭に入ってきたからインパクトを与えることができたのである。

 目指すべきは、家における、遊びと学習の一体化だと思う。

 例えば、フジテレビが作り上げた高視聴率の教育バラエティ番組「平成教育委員会」(1991年放送開始)(4)のような仕掛けでも、やり方がよければ、十分な教育効果があると思う。
 もっとも、残念なことに、算数は滅多に登場しないが。

 それこそ「算額」の精神を現代に生かすなら、算数教育番組と連動したオンラインゲームや家庭や学校でできる実験・工作を指導するウエブ開設がベストだと思う。
 米国の「Cyberchase」はその典型例と言えよう。

 放送やインターネットによるコミュニケーションを生かせば、算数を道楽のように楽しむ家庭が登場してもおかしくない。これこそが、和算の精神の復活ではないだろうか。

 --- 参照 ---
(1) 吉田光由著 大矢真一校注「塵劫記」岩波文庫 1977年 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/9/3302410.html
(2) http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/tenjikai/2003/zuroku/pdf/2.pdf
(3) http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/9807/sangaku-Q.html
(4) http://www.fujitv.co.jp/b_hp/heisei/
(5) http://pbskids.org/cyberchase/
  第31回「日本賞」最優秀ウェブ賞受賞 http://www.nhk.or.jp/koukai/kouhyou/kokusai_koho/pdf/koho041102.pdf


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