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1999
 
 


メーカーに「使い易いパソコン」を要求しないで欲しい…

 パソコンを買ってはみたものの使いこなせずにいる人は多い。あげく「マニュアルを読んでもさっぱり解らないし、サービスセンターで聞いても噛み砕いて説明してくれない。メーカーは誰もが簡単に使えるようなものを作るべきだ。」と主張する。

 確かに、パソコンは一般家電製品のようには簡単にはいかない。ワープロにもなるし、通信機能、計算機能、データベース機能もあるが、素人は使い勝手が悪く限られた機能しか使いきれていない。従って、「簡単に使えるもの」というのも至極もっともな発言に聞こえる。

 今迄の家庭電気製品なら確かにその通りだ。しかし、パソコンは家電とは全く異なる。というのは、パソコンを作るのは確かにメーカーだが、その使い方を考えるのはメーカーだけではないからだ。メーカーの主たる役割は汎用性がある高品質で安価な機械を提供することだ。知恵を絞って、新しい活用方法を考える人はメーカーである必要はない。黙っていても、様々な分野から自然にに登場してくる。こうした、研究開発のコミュニティが形成されていくことが、パソコンの革命的な意義といえよう。素人でも使える単機能の製品を各メーカーが本格的に開発し始めたらこうした動きは止まってしまう。特殊な機器が支配的になることで、進歩が止まるようなことだけは避けて欲しい。

 今はまだ過渡期である。本当に、素人が簡単に使えるようなコンピュータが登場するためには、もう少し時間が必要だ。データ処理スピード、データ保存容量、データ送信量を増加させる必要がある。様々な機器間の相互通信を実現するための通信技術も必要である。そのため、メーカーにはまだまだモデルチェンジと通信技術の開発を進めてもらわねばならない。モバイルの時代と言っても、今の通信容量では、そう大したことはできない。従って、当面試験的な製品を次々と登場させるしかない。当然、中途半端な商品や使いにくいものも生まれるだろう。そのなかから、将来の本命が見えてくる筈である。
 注意すべきは、この開発はメーカーだけが担うのではない。ユーザーも多少の無駄を覚悟の上で、様々な利用を試みる必要があるのだ。言うなれば、ユーザー側もどう利用するか、という面から研究開発への参加が要請されていると言えよう。

 コンピュータそのものに価値がある訳ではない。コンピュータをどう使うかに本当の価値がある。こうした価値を生みだす仕組みをどうつくるかが情報通信時代の最重要課題だ。この観点からいえば、メーカーには、将来のプラットフォームとなるような技術の開発に今は全力投球して欲しいのだ。


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