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2000.2
 
 


「かもしれない」に同感…

 99年11月のH2ロケット打ち上げ失敗原因については、様々な憶測が流れていた。ついに、翌2月になって、事故のバックグラウンド説明が一般ビジネス誌に掲載された。(日経ビジネス2000年2月14日号)

 これによると、前回98年2月の失敗を教訓に、「全部検査方法を見直し、検査設備も充実させて調べ尽くし」たそうだ。しかし、「オーダーですから、品質管理面でも量産品とは違った難しさがある」ので、完璧に対応するのは難しかったという。

 ところが、ここで、「かもしれない」遠因が指摘されている。
 「H2ロケットは100%国産化した初のロケットで、そのエンジンは試行錯誤によって、設計だけでなく、溶接や削り込みなど加工の面でもかなり苦労の跡が見られる機体」であり、「製造現場でも高い技能が要求され」るものだった。このH2を、「確実に打ち上げられるよう、設計を変更」したのが、事故を起したH2Aだ。従って、H2とH2Aという「新旧2つのものが並行して動いた」ことを遠因と見なす訳だ。
 研究開発の常識から言えば、簡素化、単純化を志向した設計にすれば、信頼性は高まる。ところが、H2Aロケットはそうでないらしい。「なるべく仕事が単純化されて、みんなが集中できる環境になっていないと信頼性を上げることは難しい」そうだ。簡素化、単純化したというのは、みかけ上で、実態は複雑なままのようだ。

 これを読むと、やはりそうだったかと感じる研究者・技術者は多い。
 日本企業は問題が起きると、細かな対応を徹底的に進めると同時に、「一人ひとりが気を引き締めて、集中」すべしといった精神論で片付けてしまう。全体の仕組みやマネジメント方法は改良せず、常に、個人技にたよるのだ。個人個人は優秀だから、何とかカバーできることも多い。しかし、このような対策をいくら繰り返しても、技術は進歩しまい。


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