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2000.2
 
 


インターネットの理想論をやめよう…

 相変わらず「夢」のようなずインターネットの理想像を語り続ける人がいる。がっかりする程実情を知らないようだ。おそらく、雑誌や伝聞情報だけで理解しているつもりなのだろう。

 典型は、「インターネット利用によって、取引コストが極めて小さくなる」というもの。理屈ではその通りだが、現時点で、実際どの程度下がるかは具体的に語らない。人によっては、大雑把にいえば取引コストが1000分の1になる筈と主張する。こんな抽象論で、インターネット・ベンチャーの時代が来たと語るのだから驚く。研究者なら、現時点のコスト推算と将来予測なしに、こうした事業の経済性を語るものはいまい。(インターネットの意義を、コスト削減から主張すること自体、ピントがずれているとも言えるが。)

 パソコンを電話線に繋いで簡単にシステムが動くというのは、一般利用者側の視点であって、事業者側ではない。事業を開始する立場になれば、インターネット取引開始の初期投資とメンテナンス金額が小さい筈はない。従って、現時点で大幅なコスト削減が可能と断言はできまい。例えば、銀行でいえば、単なる振り込みサービス程度なら、インターネット取引よりは自動支払機(ATM)増設の方が、コスト削減効果が大きいのではないか。
 企業がなかなか消費者とのインターネット取引に踏み切らないのを見て消極的だと批判する人がいるが、利用頻度とコストを考えたら当然だ。日本では、インターネット接続者の数は少ないし、接続料金が高額だから利用も限定的で、事業性を考えたら誰でも投資に躊躇するだろう。
 しかし、将来を考えると、先行しないと基盤を喪失するのは誰でもわかる。投資のタイミングが今だと断言する理由を言わずに、批判ばかりというのは無責任すぎる。

 もともと、アマゾン・ドット・コムが赤字事業ということ自体、取引量がいかに多くても、インターネット運営にはただならぬコストがかかることを示唆している。
 「従来のメディアをインターネットが駆逐する」筈なのに、米国でスポーツ・イベントTV放送の宣伝にドット・コム企業がずらりと並ぶのを見ても、インターネット理想像の議論は役に立たないことが分ろう。
 抽象論ではなく、現実にインターネットでどのようなメリットが生まれるかを具体的に指摘し、インターネット経済への道を指し示す必要があろう。


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