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2001.11.6
 
 


Kurzweilの予想…

 「Kurzweil」はシンセサイザーのブランドだが、コンピュータ関連の新機軸の製品創出で有名なアントラプルナーの名前である。ユニークなテクノロジー製品のベンチャーを立ち上げてきたし、National Medalも受賞しており、米国では良く知られている。
 アントラプルナーではあるが、大企業を育てあげるつもりはなく、事業が軌道に乗れば経営権を委譲してしまう方針のようだ。現在も、革新的なアイデアを実現するための組織活動を積極的に進めている。(http://www.kurzweiltec.com)

 このKurzweilとMITのコンピュータ・サイエンス研究所長との議論がTechnology Review 2001年2月号に掲載された。コンピュータの将来を巡る見方の違いが現れており、極めて質が高い議論だ。
 両者の基本的認識は、コンピュータ技術の飛躍的発展が今後も続くという点では同じだ。ところが、将来像はかなり異なる。コンピュータの進歩は進むが、コンピュータを使うのはあくまでも人間だから、コンピュータが人間と肩を並べるようなことはあるまいという主張と、コンピュータは早晩人間の脳と競合できるレベルに達するという主張がぶつかりあっている。

 前者の考え方は、技術は進歩したが、喜怒哀楽といった人間性の本質は大きな変化が起きてこなかった、という経験論と人間性の哲学を基底においたものだ。コンピュータが喜怒哀楽感情を持つ世界は到来して欲しくないから、前者の主張を支持したくなるのだが、Kurzweilの主張の方が説得性が高い。コンピュータがヒト並になるとの予測は希望ではなく、実証型の論理をベースにしているからだ。---チェスではコンピュータが人間の能力を凌駕しており、この力が3桁上昇すれば人間の脳と同等なレベルに達する。技術の進歩が加速度的であるのは事実だから、現状から未来に外挿すれば、2025年頃には、そのレベルが実現されることになる。すでに、並列演算、ニューロコンピュータ、進化論処理(DNA合成型の進化の論理)といった技術が実用化されているのだから、この予測は否定しがたい。


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