← トップ頁へ

2004.8.25 



人名漢字騒動とは…

 人名漢字騒動もようやく収まったようだ。
 ざっと、経緯をふりかえってみよう。

 戸籍に記載される氏名に用いる事が出来る文字は、常用漢字(1945字)、人名用漢字(290字)、片仮名、平仮名、である。さらに、人名用漢字許容字体(205字)として、旧字体の利用も承認されている。
 使えないのは、変体仮名、外国文字、算用数字、ローマ数字、記号である。

 もともと、常用漢字が制定されたのは、漢字を過度に使用しないようにするためだった。漢字は覚えるのが厄介であるから、効率的な日常生活にするためには、できる限り使用漢字数を抑えようという、極く当たり前の発想から始まったのである。
 (現実に、教育漢字は1006字しかない。おそらく、無理なく覚えられるレベルとはこんなものだろう。)

 人名も、基本的には、常用漢字で、という考え方だったろう。しかし、人名だけに頻繁に用いられる文字を外す訳にいかなかったから、追加されたにすぎない。
 (もっとも、人名では、漢字の読み方は自由だ。他人には読めない漢字の存在を前提にした不思議な制度である。)

 ところが、この原則がなし崩し的に変えられている。人名漢字を順次増やすつもりのようだ。
人名用漢字数変遷(1)
文字数
1951年 92
1976年 120
1981年 166
1990年 284
1997年 285
2004年
2月23日
286
2004年
6月7日
287
2004年
7月12日
290

 ことの発端は、「糞」と「癌」である。人名に不適当な漢字が選ばれた、と大騒ぎしたのである。こんな常識も無いのか、との主張一色である。
 ほとんどの報道のトーンは、「人名用漢字追加案」を見れば、一般庶民がとまどうのも当たり前、というものだ。記載していないが、役人のやることはこれだから、・・・と言いたげなものばかり。
 お役所仕事を批判していれば、正義の味方と思っている人が多いようだ。

 そもそも、追加人名漢字は「常用平易」の観点から選定すると決めた筈である。人名に適当かどうかの判断はしない、ということで選んだのだ。ところが、原則を無視したい人ばかりだ。

 これでは、役所がいい加減になるのも、しかたあるまい。原理原則を守るな、と言われているようなものだからだ。
 役所とは、しっかりとした原則を打ちたて、その原則の下で施策を案出するから意義がある。将来を考えて、ルールを定め、そのルールを遵守させる役割を担ってもらわなければ、社会の発展基盤が失われてしまう。
 この仕組みを壊したい人がいるようだ。

 漢字の問題は、小さな問題ではない。情報化社会を作る上で、文字をどう取り扱うかで進歩のスピードが決まってしまうからだ。
 共通の文字コードを作らない限り、いくらコンピュータを増設したところで、意味が薄いからである。漢字は字体を含めて、標準化して規格統一を図る必要があり、いつまでも、どうするか延々と議論をしている暇など無い。
 原則を定めて、一気に決めるしかないのである。

 人名漢字問題を見ていると、このようなことを快く思わない人が多いことがわかる。
 お上が決める問題ではないと考えているのかもしれない。漢字コード設定を管理社会化と同一視するのである。

 この姿勢は、一見、リベラルに見えるが、全く逆である。

 本質的には合理的な社会をつくりたくないのである。合理的な仕組みが動いて、下克上が始まることを恐れているだけの話しである。

 --- 参照 ---
(1) ウィキペディア「人名用漢字」
(2) 法制審議会人名用漢字部会第1回会議(平成2004年3月26日開催)
  http://www.moj.go.jp/SHINGI/040326-1.html

 侏儒の言葉の目次へ

(C) 1999-2004 RandDManagement.com