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2004.9.1 



オリンピックの幕引き…


 Economistが2004年8月7日号で「Drugs and the Olympics」特集を組んだ。(1)

 遺伝子組み換えが始まっているのだから、スイマーは魚人になったら強いのに、といった冗談さえ、本気に語られる時代が来ているのに、ドーピングを騒ぐのは間違っているといった、鋭い論評が掲載されている。

 確かにその通りである。

すでに、遺伝子診断を行えば、トップアスリートになれそうか判断できるところまで科学は進歩しているからだ。(2)
 理屈からいえば、SNIPSのデータ解析で、さらに詳細がわかる筈だ。遺伝子診断によるアスリートの能力判定の実用化は、時間の問題である。

 只、現状は、そんな将来のことより、現実のメダル取りが重視されているから、ドーピングが流行る訳だ。
 ギリシャのトップアスリートがオリンピックへの参加を辞退したことでもわかるように、ドーピングはごく当たり前になっている可能性が高い。(3)

 もちろん、「ドーピングによって金メダルをとっても満足感やうれしさはこみ上げてこないし、意味がない」と正論を語る選手もいるが、こんな状況では、理想論すぎる気がする。(4)

 現実は相当深刻である。
 例えば、遺伝子組み換え型ヒトエリスロポエチンを摂取することで、赤血球を増やすそうとの試みが行われている。
 酸素を多く運べるようになるから、持久力を競う場合には、優位に立てることは間違いない。
 しかし、場合によっては、血栓症、血圧上昇、血液の過粘稠等の症状を招く。下手をすれば、死に至る危険な取り組みである。それでも、挑戦するのだ。
 エリスロポエチンは、ヒトがもともと持っている微量成分だから、摂取の証拠を見つけるのはやっかいだが、分析手法が確立しており、ドーピング認定は可能である。お蔭で、選手にとっては、面倒な検査が行われている。(5)

 もっとも、エリスロポエチンが禁止リストに載ると、すぐに、これに糖鎖をつけた禁止リストに載っていない新薬を使用したりする。これでは、どうにもならない。

 よく考えれば、これはオリンピックの行き詰まりを示すものである。例えば、いくらトレーニングをしたからといって、100m走の記録は人の能力の限界に達しているのではなかろうか。
 この限界を破ろうとすれば、とてつもない手段を採用することになろう。その道をとらないで、記録での競争を続ければ、皆から見放される可能性は高い。

 アテネでのドーピング騒動は、よき時代のオリンピックの幕引きの時間が迫っていることを示していると言えるのではないだろうか。

 --- 参照 ---
(1) http://www.economist.com/printedition/index.cfm?d=20040807
(2) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=12879365&dopt=Abstract
(3) http://www.cbsnews.com/stories/2004/08/18/eveningnews/main636868.shtml
(4) http://www.anti-doping.or.jp/talk/index.html
(5) http://www.sysmex.co.jp/news/press/2004/040811.html

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