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2005.3.16
 
 


反自由経済派が目立つ…

 買収合戦の「時の人」をどう見るか、と聞いてくる人がいる。

 何が目的の質問かよくわからないから、答えようがないが、質問者は本気で意見をきこうとするから始末が悪い。
 ほとんど知識が無いのに、自ら調べる努力をせず、他人の意見を集めて、都合のよさそうな箇所を編纂するようだ。こんな仕事が社会に役に立つと本気で考えているのだろうか。

 こんな人達にかきまわされたのでは、企業も社会もたまったものではない。

 大騒ぎ報道を見ていると、何がなんだかさっぱりわからない。論点はバラバラ、しかも、報道の視点がコロコロ変わる。
 なかには、一寸前に経済団体が提言した改革内容と180度違う論調の意見を、今の潮流として紹介したりする。

 一体、どうなっているのだろう。

 誰の視点で見ると、どういう問題があるのか、整理して語るつもりは無いのだろうか。

 公共放送に至っては、記者が棒読みの解説。しかも、どこまで株を買い進むか、そして裁判結果が「注目されます」との発言で締めくくった。一昔前の無内容な報道に戻したようだ。

 こんな状態で、識者がまともな意見を述べる気になるとは思えないが、解説だけは氾濫している。
 もっとも、こんな時は、解説モノを一切読まないことにしているから、この見方は間違っているかもしれないが。

 ともあれ、「時の人」が世間からどう見られているか、知りたい人がいるようだ。つまらぬ詮索だと思うが、この機をとらえて、世代対決論や、生活信条論にして、世間を動かそうと考える人がいるようだ。

 こんなつまらぬことに注力するのは止めて欲しい。

 報道は、こういう時こそ、自らの立場をはっきり示すべきだと思う。

 自由経済の根幹は、透明でフェアなルールである。これを守るには何が重要なのか、論陣をはるのが仕事ではないかと思うのだが。

 もちろん、自由経済とは、ルールを守ればなにをやってもよい訳ではないが、ルールを悪用されたら、先ずはルール不備問題として扱うべきだ。報道の最重要な仕事とは、この不備を放置した構造上の欠陥を指摘することだろう。これがないと、いつまでもモグラ叩きを続けかねない。報道の役割は重要である。

 そして、忘れてならないのは、ゴタゴタ時に発生するルール破り行動との対決だ。不正を叩くキャンペーンを張るべきだろう。もしも、大手をふってルールを踏みにじるような動きを感じたら、徹底的に対決すべきである。

 こうした視点を欠くなら、本質的に、反自由経済派と見なすしかあるまい。

 自由経済を守るには、コストがかかる。ルールを悪用して利益を得る企業が出ることもある。お陰で、真面目に運営している企業が突如不利益を被ることもあろう。しかし、それはいたしかたない。仕組みを壊さないためのコストと考えるしかないのである。ルールを崩したら、自由経済は成り立たなくなるからだ。

 これは米国型市場主義が時代の流れだから、という訳ではない。
 経済がグローバル化すれば、必然的に、お金は安全で儲かるところに流れる。従って、市場を重視せざるを得ないのだ。・・・それだけのことである。
 市場から資金を調達したいなら、信頼できる、ルールにのっとった仕組みを維持するしかない。もし、資金が入ってこなくなったらどうなるか考えればよい。ルール遵守の重要性は自明である。

 問題はこれだけではない。1990年代から経済発展の流れが読めなくなったという点も大きい。

 どの流れが奔流になるか、予測が当たらない時代に入ったのである。こんな時、予測した流れにあわせて柔軟にルールを適用する仕組みにしていたら大事である。予測が外れたら、動きようがないから、大混乱に陥る。そして、没落が待っている。没落を避けたいなら、透明なルールのもとで、経営の多様化を容認するしかない。
 様々な勢力が存在することは、社会にとっては、将来に対する保険なのである。

 しかし、残念ながら、日本には、その保険の役割を果たす勢力がなかなか見当たらない。将来に向かう道筋をはっきり提示しない企業が多いからだ。漠然とした「新潮流」を語る経営者は多いが、なにを目指し、社会をどう変えようとしているのか、はっきりと主張しない。
 多様化を避ける体質が染み付いているのかもしれない。

 このことは、社会全体としては、没落のリスクを抱えていることを意味する。

 これに気付いているのは、熾烈なグローバル競争に晒され、日々苦闘している人達だけかもしれない。

 --- コメント ---
(1) 関連会社の資本関係再編が必要な時には、時間外取引が使われることが多い。
  市場に余り影響を与えず、コストを抑えることができるという理屈なのだろう。
(2) 話題にならないようだが、市場の一部で囁かれている問題が1つある。
  メディア企業が買収されると、インターネット報道の破壊的威力が歴然となろう、という話である。
  日本のメディアは、閉鎖的な記者クラブ制度を続けている。このため、海外メディアや後発組からの批判が続いている。
  今回買収をしかけたベンチャーは、新聞記者をリクルートしてニュースに力を入れているようだが、情報源が限られ、限界がある。
  従って、企業買収で記者クラブに参加し、生情報のインターネットライブ送信を始めるつもりでは、と見る人は多い。
  こうなると、記者クラブでのオフレコ話はできなくなるだろう。


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