↑ トップ頁へ

2005.3.29
 
 


踏切事故報道に怒りを覚えた…

 2005年3月、踏切で、電車が通過するにもかかわらず、操作員が遮断機を上げたため、歩行者が線路に入ってしまい死傷事故が発生した。

 言葉を失うようなひどい話である。これを操作ミスと語ったらしいから、さらなる怒りがフツフツと湧いてきた。

 操作ミスと語ったのは誰だ。
 ・・・記事には何も書いてないのである。

 もしも、警察担当者が「ミス」と説明し、その言葉を引用しただけなら、頭を使わない、垂れ流し報道である。
 報道業務に不適な記者と言わざるを得ない。

 この踏切事故は、一般の「過失」事故とは本質的に違う。

 踏切遮断機とは安全のために設置されたものだ。操作員とは安全確保の要員である。
 安全装置で単純ミスの事故が発生することなどあり得ない。そのようなものは安全装置とは呼べないからである。

 従って、今回のような事故が発生したら、「ミス」ではなく、故意に引き起こされたと考えるのが常識である。
 要するに、「ミス」で事故が発生してもかまわないと、誰かが安全装置に手を加えたということである。限りなく殺人に近い仕業である。
 ところが、これを「ミス」で片付けようとする人がいる。記事を見る限り、報道もそれを支援しているように見える。

 とはいえ、安全装置を勝手に弄くった人がいるのだから、その元凶は調べればすぐにわかる筈だ。

 ところが、捜査に時間がかかっている。原因についての報道もほとんど流れない。異常である。

 管理システムが機能していない無責任企業ということかもしれない。

 日本には、時として、無責任企業が堂々と残っている。お神輿に乗っているだけにすぎないのに、その自覚なしに采配を振るう経営幹部がいると、どうしてもそうなりがちだ。

 特に、こうした幹部自らが、経営力を発揮していると考えていると最悪である。担当すべき業務がわかっていない人が指揮するのだから、たまったものではない。

 話を戻そう。
 人がやることには、必ず「ミス」が発生する。従って、「ミス」が発生しても、大きな問題が発生しないように管理システムを作ることが経営陣の仕事と言える。ところが、そう考えない人もいる。
 様々な問題は次々と発生する。これに上手く対応するために、手直しを適宜指示することが管理者の仕事と考えるのだ。

 こう考える経営幹部に、いくら安全を語ったところで馬の耳に念仏である。そんな幹部に率いられる組織だと、事故原因はいくら調べてもなにがなんだかわかるまい。書類は色々あっても、本質的には仕組みなど無いのである。

 実例で語るとわかりやすいかもしれない。

 ある企業で、触れるだけで生命が奪われる極めて危険な機械が稼動し始めた。当然ながら、安全装置はついているが、あがってきた報告を見た管理者が危険を感じ、安全担保の施設を至急最優先で作れ、と指示を出した。
 管理者は、安全管理の総責任者として仕事をしたのである。

 そこで、現場は、急いで、機械の周囲に、誰も近寄れないような高い柵を設置し、危険近寄るなとの目立つ表示板を設置した。
 しかし、もし柵の扉が開いていたら何の意味もない。鍵の保管システムが安全に係わる訳だ。
 そこで、現場の長は、私が責任を持って鍵を保管する、と宣言。鍵の利用方法マニュアルを作り、絶対安全を確保することとした。
 ところが、安全対応は、これでは完了しなかったのである。

 管理者は、この仕組みを危険と見て許さなかったのである。

 それでどうなったか。

 機械の電源を切らない限り鍵は持ち出せないし、鍵をかけないと電源が入らない装置をつけたのである。

 もちろんスムースに導入できた訳ではない。

 現場は、そんな仕組みにはお金はかかるし、機械のトラブル時に対応が面倒だから、効率が大幅に下がると大反対。実践的でなく、全く馬鹿げた方策だと決めつけた。一度も現場に来たことが無い人に、勝手なことをさせるな、という声さえあがった。

 しかし、管理者は全く聞く耳を持たなかった。できそうにないのなら、当該機械をすみやかに撤去せよ、と指示したのである。これこそが管理者の仕事と考えて采配を振るったのである。

 この管理者とは誰か。

 社長(当該事業部門経営責任者)である。人命にかかわる危険が指摘されているのだから、管理システムを作るのは自分の責務と考えて指示を出しただけのことである。

 余談だが、この結果、現場では効率が下がるどころか上がった。できるだけ機械のトラブルが発生しないよう、皆で協力して工夫したからである。


 侏儒の言葉の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2005 RandDManagement.com