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2005.10.4
 
 


農業の規制緩和とは…

 2005年9月、「改正農業経営基盤強化促進法」が施行された。
 農地のリース特区が全国で認められたことになる。
  → 「魅力なき農業特区 」 (2004年3月1日)

 規制緩和に向かう大きな一歩との喧伝が目立つが、これはさらなる農業団体保護策でもある。(1)

 内容をよく見るとよい。対象は農地とされているが、実は農地でない。対象は、耕作を放棄した土地である。
 しかも、使われていないのに、あいかわらず所有はできない。しかも利用の縛りはきつい。

 農業団体にとっては、そのまま放置して、荒れるにまかせるのもこまるから、外部から援助が欲しかっただけの話である。確かにその通りだろう。
 しかし、無礼な人達である。営利団体に任せると、儲からないと農地を放棄すると、平然と語るのだ。とんでもない人達である。

 間違えてはいけない。耕作を放棄したのは農家自身である。

 都会のサラリーマンからみれば、田舎の農家の大半は、現金収入が少ないにもかかわらず、豊かな生活を享受していると言わざるを得まい。その一方で、豊かになれるチャンスもなさそうで、いかにも生活が苦しそうな農家が点在している。しかし、何も手を打つ気はない。今の生活で満足しているからだ。
 都市近郊を見れば、リアルエステート業主体の自称農家が悠々と暮らしている。狭い部屋に高額な家賃を払いギリギリの生活を余儀なくされている住人のすぐ隣で、立派な家に住みながら、平然と、趣味としか言いようがない作物作りをする人達がいる。

 こんな状況を正当と考えているのが、農家である。

 一方、営利企業は身銭を切って投資するのだ。そこには、なんとかして農業で食べていこうと知恵を働かす人達がいる。農家より頑張るに決まっている。
 楽な生活ができなければ、耕作を放棄するのは農家の方である。

 にもかかわらず、こんな主張を臆面もなくできるのだから呆れる。こんな社会が続く限り、日本は衰退の道をまっしぐらに進むしかあるまい。

 ・・・というと農業だけが大きく遅れているように見えるが、他の産業も同じようなものである。
 その点では、既成緩和の大きな一歩という表現は当たっている。この程度でも画期的なのだ。

 日本の仕組みの特徴を一言でいえば、競争力が弱い経営体を淘汰させない点と言える。
 多くの場合、競争力ある組織に、弱者の面倒を見るよう圧力がかかる。強者が弱者を救済する美しい話に聞こえるが、全体を俯瞰すれば全く違う構図である。

 例えば、素晴らしく美味しい米と、恐ろしく不味い米を混ぜて、そこそこの味にして出荷するようなことが行われていると考えるとわかり易い。
 強者が弱者を助けているように見えるが、それだと本質を見間違える。全体をコントロールする莫大な費用を、皆で負担しているのである。メリットを享受しているのは、コントロール側なのだ。

 言うまでもないが、農業分野では、こうしたコントロールは、市場、流通、資材、金融、技術、等、すべての場面に浸透している。驚くべき制度といえよう。
 要するに、資本主義制度の只中で、集団農場制度の変形版が稼動しているのである。

 このような組織運営を行うと、非合理的な采配が増え、腐敗が進むことは、社会主義国を見ればわかることである。
 しかし、日本の農家は、そう考えないようだ。

 それも無理はない。生活は楽になっていったからである。
 そのため、この制度のお陰で上手くいったと勘違いしているようだが、実態は全く違う。農業が他の産業セクターへの労働力供給源となったからに過ぎない。成長産業があったから、謳歌できただけのことである。
 今後はそうはいかない。
 もはや、支えることはできない。支えれば、共倒れである。

 優れた経営を進める組織への集約化、外部資本投下による成長軌道の模索産業への変身しか道はないのである。

 特に重要なのは、「優れた経営」の導入である。
 逆に言えば、集団農場制度からの脱却だ。

 成熟した社会とは、様々な組織が登場し、それぞれ棲み分けができるのが特徴だ。だからこそ豊かな生活を送れるようになる。
 様々なパターンを容認し、「優れた経営」が登場してくれば、産業の活性化も夢では無い。

 例えば、低コストオペレーションを狙うなら、利潤をとことん追求する営利企業に任せるのが一番だ。又、独特な商品提供で生き抜くつもりなら、特定顧客のニーズに応じて動く営利企業が向いていると思う。生産性が一桁上がってもおかしくない。
 ところが、どんな分野でも、営利企業の参入の話が持ち上がると、邪魔をするか、対抗して非営利組織を立ち上げようと図る勢力があるそうだ。一体、何をしたいのだろう。
 非営利組織が向いているのは、例えば、“美しい農村”を望む生活が豊かな人達に支えてもらう農業だと思うが。

 こんな状況を見ていると、参入解禁を喜ぶ気にはとてもなれない。
 事態は悪化する可能性さえある。

 自分がコントロールする側にいたらどうするか、一寸考えて見るとよい。
 先ずは、経営力ある農家に集約されないよう先手を打つことだ。そうでなければ、コントロール費用が無駄と言いだされかねないからだ。
 嬉しいことに、簡単な解決策がある。農業従事者を雇用している業者に頼んで、耕作放棄地を管理してもらえばよいのだ。
 そうすれば、自冶体は雇用者に仕事が生まれるよう一生懸命に政策を立案することになろう。農業生産物は、自冶体の力と、コントロールしている既存市場に流し込めばなんとかなるだろう。

 日本の「規制緩和」とはこんなもので終わるかもしれないのである。

 それでは望みがないかといえば、そんなことはないが。
 しかし、新規参入者がそれこそ一心不乱になれば変わる可能性もあるといった程度ではなかろうか。

 なんといっても、農業変革の早道は、「優れた経営」を自負する農家が外部勢力を引き込んで新しい流れを作ることだろう。

 --- 参照 ---
(1) http://www.maff.go.jp/soshiki/keiei/nouchi_seido/kiban_2.pdf


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