↑ トップ頁へ

2007.11.19
 
 


非正規雇用を巡る議論…

 「フリーター400万人、非正規雇用者数1600万人、若年フリータの年収は106万円」の問題を取り上げた本を読んでみた。(1)
 著者や内容に興味を覚えたからではない。赤木智弘氏が参加する座談会が、この本に収録してあるので、目を通してみたくなっただけである。

 赤木氏とは、31歳、フリーター。
 朝日新聞社の雑誌『論座』2007年1月号で「現代の貧困」(2)特集が組まれ、“「丸山眞男」をひっぱたきたい”、“希望は、戦争。”との意見を吐露され有名になった。
 この小論を読んだ訳ではないが、確かに驚きである。タイトルの話ではない。
 このような雑誌で「丸山眞男」の話をする評論家とは、常識的には、大学等で身分安定した職を確保しているものだ。生活感がいかにも薄そうな“肩書き付き”の人達が、知識とイデオロギーで貧困の問題を語るのが普通だ。そこに突如フリーターが登場したのだ。

 “座談会というバトル”と銘打っている章がお目当てだったのだが、読むと論議になっていない感じを受けた。そこで、赤木氏の発言だけを追って読んでみた。
 すると、なんのことはない、非正規雇用者の生き様を、特段の誇張もなく、感じたまま淡々と語っているだけ。読み方によっては、正社員の道を外れてしまった非運を嘆きながら、周囲の境遇を解説したい人に見えるかも知れぬ。格差をなくすためになんとかしろと声高に主張している言葉など一言もない。
 従って、主張や論理らしきものは感じられないのだが、おかげで考えていそうなことはなんとなく伝わってくる。
 “親の経済力がそのまま子供の人生に影響を与えてしまう”という格差の固定問題をなんとかすべきだというのである。そして、一番の課題としては、“労働力を流動化させ、労働者と企業が良い出会いをする可能性を高めていく”こととしている。

 その通りだと思う。

 しかし、この本の著者の主張は、赤木氏の考え方とは相当違うようだ。
 “政治が企業に圧力をかければ正社員が増えるのだから、まずは正社員を増やして欲しい。”というのである。
 よく耳にする意見だ。

 日本経済好調の時なら、この手の主張もそれなりに意味はあったと思う。
 労働者を厚遇しても、絶対的な利益の増加が見込めたからだ。今はそんな時代ではない。こうした主張に応じた施策がどのような副作用を生むか考えるべきではないのか。

 まずおさえるべきは、日本経済の驚くべき低迷度である。名目成長率を眺めるとわかる通り、好不況の波など無縁のゼロ成長路線を走っているのだ。実質に換算したところで、OECD諸国のなかでは異様な低さと言ってよい。
 そして、この低迷の突破の目処など全く立っていないのが現実。

 マクロで考え、正社員増ができるものだろうか。
 赤木氏はその辺りを感覚的にわかっているようだ。“団塊世代の再就職や、最近の新卒学生の就職事情は、誰かの犠牲によって成り立っています。”(3)
 そうなのである。ゼロサムゲームが始まっているのだ。
 正社員は毎年給与増を実現するのだから、そのしわよせは、底辺にくるだけのこと。

 2007年11月8日、労働契約法案と最低賃金法改正法案が与野党が合意(4)したが、これも同じことが言える。一見、低所得層の生活レベル向上に働きそうだが、かえって辛い生活を呼び込むものかも知れない。

 成長しない経済のもとで、収益を削り、労賃により多く割くのは、さらなる低成長につながりかねない。これが実体経済である。
 この本の著者にしてから“グローバル化した経済の中、国際競争に勝つため”企業が動いていることはわかっている。グローバル競争のなかで生き延びるためには、企業は生産性を向上させ、収益性向上を図るしかない。投資余力を失えば、競争から脱落するだけのこと。

 労賃が高い正社員を増やせば、どうなるかはわかりきったこと。
 トータルでは労務費を増やせないから、企業は雇用数削減を進める筈。それを防ぐ手立ては、税金投入による賃金補填位しかなかろう。もちろん、それは一時しのぎ。
 製造業なら、そんな施策に乗るより、海外生産にスイッチするという選択を選ぶのが自然だろう。雇用は逃げていく。
 日本の場合は、これがさらなる消費低迷につながるかも知れない。経済はますます低迷する。悪循環が始まりかねないのである。

 もちろん、この著者が主張する気持ちがわからないではない。
 製造業では、派遣工が年収250万円で、期間工で400万円。しかも派遣工はすべての生活費が自腹。雇用も不安定。仕事内容はたいして変わらないのに、社員との格差は大きく、過酷そのもの。
 一度、この境遇に落ち込むと、這い出られなくなる可能性も高いだろう。なんとかしてくれを叫ぶのは当然だろう。
 だが、日本の自動車産業にしても、南米からの移民労働者が底辺で支えているのが現実。この人達のお陰で、かなりの数の日本人の雇用が守られているとも言える。
 これは、そう簡単に解決できる問題ではないのである。

 流石に、この著者も、正社員増の主張には違和感を覚えるらしく、皆が正社員という時代ではないから、“正規と非正規のこの圧倒的格差をなくす”方向に進んで欲しいという。

 誰だって、そんなことが可能なら、そうしたいだろう。しかし、これはもっと難しい。
 もしも、雇用を減らしたくなければ、正規と非正規の格差をなくすためには、正社員の賃下げしかありえないからだ。そんなことに賛成する労働組合など考えられまい。
 従って、労働者間で反目し合うのはやむを得ない。ほとんどのフリーターが既存政治勢力に関心を示さないのは当然だろう。

 残念ながら、経済ゼロ成長なのだから、パイの取り合いになってしまうのである。労働者の団結はできようがない。

 もっとも、正確に言えば、団結ができない訳ではない。
 言うまでもなく、日本企業の競争力を落とす方向に進んでもよいから、労賃を上げさせる、との方針を採用すればよいのである。
 これが、どんな結果をもたらすかは自明である。労働コスト上昇で輸出企業が弱体化し、国全体が貧困化することになる。
 一旦この流れに入り込んだら、雇用どころの話ではなくなる。補助金で生活が支えられている農村経済は壊滅するに違いない。言うまでもないが、歴史の教訓からいえば、こちらの道を選べば、早晩“統制経済”と“戦争”が待ちかまえている。
 資源がない国は、他に道はなかろう。
 しかし、その道を選びたい勢力も少なくない。

 繰り返すが、グローバル経済とは、国外との競争。国際的に高い賃金が続けば負けるだけのこと。従って、正社員の賃金が下げれないなら、誰かがとてつもない低賃金労働を担わなければ、とてもやっていけない。それだけのことである。
 この状況で、間違った施策を打ち出せば、雇用は海外に移転し、結局、えらい目に合うのは底辺層。

 我々にできる対処療法は、余りに酷い状況に陥っている人を救う仕組みを作る位のものではないか。たいした効果が期待できないが、他にやれることはないと思う。
 ともあれ、生活必需品やサービスの価格をもっと下げ、業務内容毎に給与レベルが決まるような仕組みにしない限り、底辺はたまらない。
 まあ、そんなことより、抜本的改革を行ない、日本経済を立て直し、成長軌道に乗せることだ。それができない限り、どうにもならないのである。

 --- 参照 ---
(1) 雨宮処凛: 「プレカリアート デジタル日雇い世代の不安な生き方」 洋泉社 2007年10月
  (プレカリアートとはPrecarioとProletariatoの造語.)
(2) http://opendoors.asahi.com/data/detail/7764.shtml
(3) 赤木智弘: ホームページ「深夜のシマネコ」 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/
(4) [Video] 第168回臨時国会 衆議院本会議 茂木敏充 厚生労働委員長 報告
  http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=37190&media_type=wb&lang=j&spkid=17034&time=00:16:30.3
(図の成長率) 名目暦年(前年比)国内総生産(支出側)  http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/qe072-2/ritu-mcy0722.csv
(考える人の写真) (C)東京発フリー写真素材集 http://www.shihei.com/tokyo_001.html


 侏儒の言葉の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2007 RandDManagement.com