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2010.3.5
 
 


Wikimediaのちょっとした動きが気になった…

Wikipediaは変わり始めるかも。
 一般論だが、組織は、注意を怠ると、すぐに変質し始めるもの。特に、自己増殖的に動く組織の場合は、当初の目論見と全く違った方向に進むことさえある。

 そんな気分にさせられたのが、非営利団体Wikimediaが営利企業Googleから寄付を得たという話。寄付自体が気になったのではなく、発表の仕方の方。(1)
 普通はこんな話は、静かに発表するものだと思うが、騒がせたかったようである。それなら、なにを主張したいのか、解説すべきではないかな。ところが、なにもない。
 そのため、直感的に違和感を覚えた。

 Googleは営利企業というだけではない。Wikipediaと違って、提供されているサービスが無くてもこまる訳ではない。競合が存在しているからだ。実際、使う側からすれば、なくてもどうということは無いそうである。(2)YouTubeで遊べなくなったことを除けば。
 要するに、圧倒的シェアなので、広告収入を一手に集めることができるというだけのこと。そのような企業からの寄付を喜ぶ理由はなんなのだろうか。

 Wikipediaをウエブ百科事典と呼ぶ人がいるが、記載されている情報をそのまま信用する訳にはいかないのだから、全く違うものだと思う。ともかく分厚い印刷物とは違って、すぐに調べることができるので実に便利である。しかも無料で、煩わしい広告なし。まさに画期的。
 そんなことが可能なのは、ボランティアの無償活動があるから。しかし、それだけでは無理である。物理的インフラを支える膨大なコストを誰かが支えている訳だ。どのようにお金を使っているのかは調べていないが、かなりの部分が、別組織の営利企業が受け持っているのではないかと思われる。そうなら、クラウド化の流れのなかで、物理的インフラ部分をどうするか、そろそろ思案のしどころなのでは。
 その観点では、Googleとの連携も一つの選択だと思う。だが、それはそれで、膨大に蓄積されているデータを一企業が独占利用しかねない。そんなことがすんなりと進むとは思えない。

 ただ、そんな動きに踏み切れば、一気に社会が変わり始めるかも。
 廉価で見易い電子書籍リーダーが普及し始めたからである。
 もしも、Wikipediaの内容を、個人別に使い易いように自動編集でき、リーダーで簡単に読めるなら、爆発的普及もあり得よう。少なくとも、電子辞書は代替される。
 といったことを考えていると、Wikipediaの活動はそろそろ転換期にさしかかったかも知れないという気になってくる。

ボランティア型仕組みの持続は簡単なことではない。
 Wikipediaを支えているのはボランティア。熱情に支えられているから成り立っている訳だ。まあ、そうでない人も参加するから、信用できない記述もある訳だが。
 熱情といっても、宗教ではないから、状況が変われば、どうなるかわからない不安定さを抱えているのではないかと思う。

 ここまで定着しているのにそんなことがあろう筈はなかろうと思う人が多いだろうが、それが歴史の教訓である。・・・ここで、ソ連という怪物国家が生まれた過程を振り返っておくことも無意味ではあるまい。
 富を生み出す生産手段を、実際に智恵を絞って働く人々が所有すべきという理屈が輝いていた時代の話。今は昔。
 よく知られているように、ソ連の計画経済社会は、当初、資本主義国より成長率が高いように見えたのである。それは何故か、といえば、おそらく「土曜労働(サービス残業)」。要するに、社会変革を目指す、ボランティア活動が経済発展を支えていたのである。

 しかし、すぐに、この活動は挫折する。技術者が、この仕組みが幻想であることに気付いたからだ。
 例えば、当時の重要なエネルギー産業で考えてみよう。技術者から見れば、爆発事故が避けられない炭鉱での過酷な労働を無くし、より生産性が高いエネルギー産業への転換を狙ったのである。熱情的に、「土曜労働」に励み、新技術開発を目指していたのだ。
 一つは、石油資源への転換。もう一つは、石炭をガスとして取り出す方式。結果、どうなったかはご存知の通り。
 政権を支えている高給取りの炭鉱労働者が、そんな動きを労働者の敵とみなしかねないから、技術革新は実現できないのである。大陸間弾道弾は作れるが、生活を支える分野ではどうにも動けないのだ。自由主義経済のように、生産性向上は図れないという現実を、技術者は思い知らされた訳である。
 その結果、社会変革の熱情は失せ、ボランティア活動は霧散。為政者は、経済発展のために、力ずくで「土曜労働(サービス残業)」をさせるしかなくなるのである。

 余り良い喩えではないが、ITの力で社会変革が進んでいると皆が実感しているうちはよいが、それが幻想と感じた瞬間、全てが崩壊しかねないということ。その基盤は意外と脆弱ということは理解しておいた方がよいと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://twitter.com/jimmy_wales/status/9215187878
   http://wikimediafoundation.org/wiki/Press_releases/Wikimedia_Foundation_announces_$2_million_grant_from_Google
(2) Tom Krazit: “One week without Google” cnet [February 23, 2010]
  http://news.cnet.com/8301-30684_3-10457892-265.html


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