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観光業を考える 2005年6月2日
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銀閣から学ぶ…

 金閣は禅寺の観光名所としては極めてユニークである。比類なき、と言ってもよいだろう。
  → 「金閣から学ぶ 」 (2005年6月1日)

 ところが、同じく相国寺系の、銀閣も極めてユニークだ。

 こちらも、金閣と似たパターンで作られた。8代将軍 義政の山荘が「東山慈照寺」になったのである。
 歴史で習っているから、義満の権力志向の公家・武家融合の北山文化に対して、「侘び・寂び」の東山文化の象徴としての銀閣の話もよく知られている。茶道、能、書院の源流ここにありという訳だ。

 こんな話を聞いて、よく手入れされた庭と、背景の山に溶け込んだ古色蒼然とした木造建築を眺めれば、納得感が生まれるだろう。成金趣味の金閣との違いは一目瞭然である。
 (足利幕府最盛期の義満の頃とは違い、将軍は統治力を失っていた。義政は、地位も家族も捨て、ひたすら一級の芸術に打ち込んだという説明を聞いた覚えもある。)

 それに、銀閣の地とは、義政が自分の後を継がせるために、わざわざ還俗させた弟の義尋(義視)がいた浄土寺だ。京都を火の海にした応仁の乱の結果、後を継いだのは義視ではなく、実子 義尚だったから、戦乱で廃墟となった浄土寺で銀閣建設を進めた義政の複雑な胸中はどうだったのだろう、という気分にもなる。

 将軍義政、16才の時の歌が、当時の境遇がどんなものだったか、いみじくも語っている。

  いたずらに なすこともなく 月見てぞ ことしも又 暮ぬとすらん

 ・・・といった程度の話なら、知っている人もいるだろう。

 もしこんな感慨にふけりながら銀閣を拝観したら、感受性ゼロだと思う。
 人の話を鵜呑みにして感激するタイプと思ったほうがよい。

 「東山慈照寺」は、こんな気分を一気に吹き飛ばすお寺である。その点では、“金ピカ”金閣の「鹿苑寺」と負けず劣らず不思議な禅寺といえる。

 実際に歩いてみるとよい。

 入山すると、まずは竹垣と高い緑木に囲まれた長さ約50mの参道だ。いかにもお寺らしく、掃き清められており、気持ちがよい。
 続いて、境内へ入る。ご本尊の釈迦牟尼仏を安置する本堂「方丈」と持仏の阿弥陀如来を祀る「東求堂」がある。「東求堂」には入れないが、茶室の原型といわれる部屋があることで有名だ。
 ここまでは、なんの違和感もなかろう。
 そして、銀閣こと「観音殿」を眺めることになる。

 ここで、愕然となる。
 景色は、池を巡らした庭と銀閣だけではない。

 「方丈」の前に、白砂の枯山水風の庭がある。建築デザインが寄せ集め様式であるのと同様、この庭にも2つの違う様式が同居しているのだ。
 しかし、枯山水とは、水が無い庭で心のなかで水が在る景色を見るものだ。ところが、ここ銀閣には水がある。にもかかわらず、砂の庭を作ったのだ。

 しかも、尋常な枯山水とは全く違う。
 「方丈」の前広場に、白砂を厚く段形に盛り上げ、その表面に掃き模様をつけ、その後に円錐台形の砂山をおいた。実に奇妙な庭である。

 これを眺めて、違和感を覚えないとしたら、どうかしている。
 とても様式美とは言い難い。と言うより、借景の世界を壊す、強烈な“オブジェ”である。こんなものが室町時代にあるとは思えない。

 「このような奇想天外な行き方は独創的で他に例がない」(4)
 その通りである。

 金閣にせよ、銀閣にせよ、よくある寺宝拝観パターンとは180度違う。“金ピカ”や“オブジェ”を眺めて、古刹イメージが湧く筈もなかろう。
 拝観すると、知識としての禅寺文化観はもろくも崩れ去る。こんな拝観も珍しい。

 要するに、「鹿苑寺」も「東山慈照寺」も、観光客に禅寺の典型的見本を見てもらう気は無いのだ。両者ともに、明らかに観光に徹しているが、その土台には、独自文化の発信元としての強固な自己主張がある。
 相国寺さんから学ぶべきことは多い。

 京都は全体として見れば、どこにでもある都会という印象を受けるが、このような強烈な主張が同居しているから面白い。
 これこそ観光振興の原点だと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/guide/index.html


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