■■■■■ 2011.1.25 ■■■■■

 「日本の科学技術」の論稿を読んで

 日曜の夜遅く、列車内で、久方ぶりに読売新聞を読んだ。経済紙以外は、滅多に新聞を読まなくなったが、たまたま興味を引かれたのは、一面の小さなタイトルに目がいったから。・・・"地球を読む" 「日本の科学技術」。その横に、野依理研理事長の写真。
 と言っても、是非とも、読みたいと思った訳ではない。タイトルから見て、どうせ、科学は国にとって重要だから予算を増やせとの政治的文章だろうと想像したからだ。しかし、なんとなく、気になった。

 読んでみると、予想は間違いだった。と言っても、予算増額主張がちりばめられているのだから、そうとも言えないのだが。矛盾した感覚だが、それが実感なのだから致し方ない。
 そう感じたのは、文体のせいもあるかも。
 問題の指摘に当たっては、感情を抑え気味。課題についても落ち着いた淡々とした書き方。危機を叫ぶ文章や、お茶を濁す所信表明の類が溢れているなかで、最近は滅多に出会えないタイプと言えよう。それが読者の琴線に触れるのかは、よくわからぬところ。

 いくつかご紹介しておこうか。

 "科学者たるには、国境を越えて頂点を目指すのが当然である。"
 "主として専門的知識にとどまる学術界に対し、先端知識を生かして多くの人と共同作業すればイノベーションが生まれ、社会貢献できる機会は遥かに大きい。"
 ・・・断片的な引用では意図がわかるまい。この前段には、"門は狭い。"という文章があってこその指摘として読んで欲しい。国内定員枠の3,000に対して、6,000人の新博士と1万人以上の博士研究員という実態を踏まえての意見なのである。
 これが、博士達の心にどこまで響くかはなんとも。組織での共同作業や利益追求業務は大嫌いで、日本で生活するのが最良という人も大勢いそうだから。

 ただ、この部分が中心的主張という訳ではない。なんといっても目玉は、「大学院を刷新 独立運営へ」。
 "教授会主導の厚い壁、閉鎖した学閥主義、若手育成を阻む研究室体制"といった"旧態依然たる価値観と既得権へのこだわり"を壊すことが緊要な課題、ということでの提言だ。一見よさげな施策だが、どうなのだろうか。十分練らないで始めると逆効果にならない保証はないと思うが。
 なにせ、改革派は大学内では圧倒的少数派なのだから。大学院の教員にしても既得権益層が主体とならざるを得なないのが現実では。その状態で組織をいじったところで、既得権益層が力を合わせ換骨奪胎にかかるののは目に見えている。
 本気で、短期間で既得権益層を崩したいなら、大型プロジェクト以外の研究費を大幅削減するとか、国立の私学化といった、副作用甚大な策を打ち出し、既得権益層の内部分裂を発生させるしかないのかも。

 そうそう、"日本で研究した外国人がノーベル賞を受けるのはいつの日であろうか"との溜息も、日本の学術界ではどう受け取られるのか気になるところ。部外者は共感を覚えるが、研究者は逆では。
 "国内"で熾烈な椅子取り競争をしている人達が、そんなことに興味を覚えるとは思えないからだ。外国人を呼べば椅子の数が減る訳だし。もちろん、表立ってそんなことを口に出す人は一人もいないだろうが。
 そもそも、日本では、なにをするにも、どう使われるのかわからぬ日本語の書類が要求されるし、たとえ書類を提出しても、それが採択される保証もない。もともと、意思決定過程は曖昧なのに、ボスと称される人に裁量権があるという訳のわからぬ組織だらけの社会なのである。そんな組織文化を維持したい勢力の旗頭が日本の大学では。そこへ喜びいさんで来てくれるのは奇特な人以外考えにくいのだが。そんは方々を増やすといっても、どうなものか。

 重要なのは、知的交流がどれだけ広く活発にできるか。理想論より、優秀な人を中心に、少しでも、その方向に進む仕掛けを考えた方が実践的な感じがするが。

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