■■■■■ 2011.4.6 ■■■■■

 日本沈没を避けるために

---日本沈没を避けるためにやらねばならぬことは、先ずは政府の人事刷新。---
イの一番は、首相を代えること。これができないなら、なにをやってもたいした意味はない。
現首相は東条英機と瓜二つ。判断能力を欠く政治的動物に、国の舵取りをまかせるほど危険なことはない。情緒的倫理感を振りまくだけで、政治的定見が無いから、非常時には存在そのものがマイナスに働くことになる。組織を牛耳るスキルだけは磨いてきた人物だから、今のままなら、場当たり的で全体感なき方針が連発されることになろう。長期的な問題解決策との整合性を図りながらの意思決定ができないから、一見よさそうに映る施策であっても、その意義が他の施策で打ち消されていく。このような宰相を担ぐ限り事態が好転することはなく、行くところまで行くことになる。
状況を理解できる実務家を外部から起用し、緊急対策を立案させること。
例えば兵站はプロに任せない限り、いくらボランティアが頑張ろうが、部分最適に終始し非効率な運営になってしまう。精神論やドグマでなく、具体的かつ実践的な方針を打ち出せる人々をマネジメント職に登用するしかない。半分素人を時間かけて育てていく悠長なことは言っていられないのである。
原発についても、現場を理解できるリーダーが不可欠である。そもそも、まともなリーダーだったら防げた可能性が高い。にもかかわらず、そのまま。お陰で、今も後手後手状態が続く。実に危うい。
エネルギー政策を即刻固めるべく、有能な経済人を担当リーダーに指名すべし。
エネルギー供給体制を早く固めないと大事。円安下での原油価格高騰に日本経済がどれだけ耐えられるか考える必要があろう。中東情勢は不安定化一途であり、油断半年で日本経済は崩壊する。ともあれ、輸入エネルギー資源で、当面、どの程度需要に応えられるのかはっきりさせ、国民に実情を知らせることが肝要。ここで、真実を隠蔽してご都合主義的な方針を設定してしまうと、以後、際限なき出鱈目政策が続いてしまう。当然ながら、柏崎原発早期稼動をするのかしないのか、即時決断すべし。

---同時に、思想転換を図る必要があろう。---
自給自足イメージの「我慢」型経済路線を明確に否定すること。
相互依存型の経済活動をしている状態で、「縮む」生活で乗り切ることは不可能である。皆で我慢して危機を乗り切ろうという幼稚な発想を広げる人達もおり、そんな流れに乗りかねない政治が行われているから、今のままなら経済活動沈滞化の悪循環に陥ってしまいかねない。自分達の経済活動を縮小させておきながら、必要なモノだけは他所から入手するという、都合のよい仕組みは残念ながらマクロでは成り立たないのである。「地産池消」とは、先進国における表層的ファッションのミクロでのみ成り立つビジネスであり、他所との取引を沈滞させたりすれば、発展途上国並みの生活に陥るだけのこと。
皆で一体になって頑張ろうという曖昧なスローガンは危険である。
力を合わせれば考えられないような成果が生まれるというのは真実。しかし、浅知恵で道を間違え、皆が水に向かって猪突猛進したら、全員で溺れかねない。こうなることは少なくないのが現実。この両極端の違いが生まれる理由は、ビジョンの有無と現実認識の正しさ。常識的には余りに高い目標でも、達成の可能性を感じたなら、それをビジョンとして共有できれば、実現可能性は格段に高まることが知られている。経験則でしかないが、現実を直視すれば、それを目指す以外に生き残るすべがないと言うことで、皆が力を合わせるので、素晴らしい結果が生まれるものなのだ。困難な目標だからこそ、文殊の知恵を絞りだすことになるとも言える。

---復興支援についても、間違った方向に進まないように工夫したいもの。---
この災害の場合、若者の個人ボランティア活動推奨は考えもの。
新しい社会を作っていくのは若者の仕事である。日本は老人社会であり、新しい産業を勃興させる原動力たる若き血潮は、ほんの僅か。貴重な人的資源を、老人社会を支えることに全て注ぎ込むことは止めて欲しい。平時の災害なら、ボランティア活動を推奨したいが、そんな状況ではない。
支援ボランティア活動は既存組織が有する余力に期待したい。そうした活動は間違いなく過酷。しかし、日本の組織で鍛えられてきた人達は、それに耐え、十二分に力を発揮できる。日本の現場の力は圧倒的なのである。そして、皆を組織的にマネジメントできる人材も存在しているのである。
多額な義捐金を既存組織に委ねてしまうのが本当によいのか考えて欲しい。
現政府には、膨大な義捐金が集まっても、それをどう使うか考える能力はなさそうである。既存の義捐金配布組織も、これだけ大規模な被害になると、従来型の対応が通用しないから、妥当な配布ができるとは限らない。しかも、地域全体のインフラが壊滅的被害を受けており、雇用が消滅してしまったから、現金をもらったところで一過性でしかない。経済界には、義捐金といった直接支援より、新しい産業を勃興させる投資を行って欲しい。それこそ"孫タウン"作りができるような、緊急立法でもよいのだ。
こういう時こそ、JA、JFの全国規模支援が必要なのでは。
被災地の多くは、漁業や農業とその加工業が複合化した経済で成り立っていたようだ。その生産手段はほどんど失われており、回復には長期間かかるのは明らか。疎開も必要となろうし、雇用問題も考えるとボランティア活動で支えきれるものではなかろう。被災者支援は、当該産業を取り仕切るJAやJFに委ねるのが筋ではないか。

---ともかく、日本経済を立て直すことに主眼をおくべし。---
岩手・宮城に起業家を呼び寄せる施策を打つ必要があろう。
地銀は国債代理購入業と化しており、地元の新産業勃興支援ノウハウは失っていると見た方がよかろう。しかも、町全体が被災しているから、廃業者続出は間違いないし、食べるために被雇用者は他地域に移ってしまう可能性が高い。従って、非労働人口過大な地域になるのは間違いない。急ぐべきは、雇用創出。見つけるのは難しいが、革新的な発想の起業家に期待するしかなかろう。そんな人が動けるようにすることが肝要。こういう時こそ、「特区」構想が生きる。
利権政治を招かないように注意が必要である。
復興需要を巡って、利権集団を支援母体とするバラマキ政治屋が蠢くのは間違いなかろう。被災者からすれば、藁をもつかむしか無い状態だから、この動きを止めるのは極めて難しい。だが、この流れが奔流になれば、日本の政治の劣化はどうにもならなくなる。結果、税金を当てにするだけの経済だらけになってしまう。
スタグフレーションに陥らないように早めに手を打つ必要がありそうだ。
復興需要で経済成長を期待しようとの声があるようだが、この災害は一地域の問題ではない。日本の産業はすでに複雑な相互依存関係ができあがっており、供給能力が一気に減少してしまった。とりあえずは需要に見合った供給体制構築投資ということであり、経済成長が見込める訳ではない。しかも、生産能力縮小にあわせて、生活レベルを落として需要を削る動きが始まっているから、景気は悪くなるだろう。マクロ経済で見れば、早晩、スタグフレーション到来ということになるのではなかろうか。
課題が曖昧な、輪番停電・節電は止めるべきだ。
停電による生活悪化を皆で均等に分かち合おうという精神論はわかり易いが、その姿勢が正しいか確認しておく必要があろう。短時間だろうが就業時間内の停電は、前後の対応作業が必要なので、大幅なアイドル時間が発生する。生産能力は大幅に落ち込む。その節電分をダムの揚水に回して水力発電量増加につなげることに、どれだけ意味があるのかプロに検証させる必要があろう。電力の場合、需要供給バランスに問題が生じたなら、消費量ピーク時を乗り切るための強制手段を準備するだけで十分なことが多い。今の、経済低迷促進型の輪番停電・節電施策を採用する理由がはなはだわかりずらい。
服喪期間は必要だが、何時までもその体制を続けるべきでない。
物事は単純ではない。良かれと思って始めても、その影響が考えてもいないところで現れる。自粛ムードのお陰で、余暇やエンタテインメント系のサービス産業が抱える膨大な雇用者が食べられなくなりつつあるのが現実。しかも、都会では、航空運賃暴騰にもかかわらず、出稼ぎ労働者が続々と帰国している状態。需要減とコスト高で、早晩、事業継続是非を迫られそうな企業は少なくない。もちろん、この現象が一過性にすぎず、需要も急回復するなら問題深刻化は避けられる。だが、今になってもその兆しは無い。こうした現象が不況勃発の引き金にならなければよいのだが。


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