■■■■■ 2011.5.5 ■■■■■

 いよいよ悪循環が始まる

今の時代に「欠けている」ものは、不便極まりなくても、人間らしい生活実感。---そんなことを言う人が少なくない。都会的な生活を支える「経済至上主義」を捨てよとの主張もよく耳にする。
そんなことができるなら結構な話。
それは、資産を食い潰して生きる道だからだ。清貧イメージを振りまくが、それはとてつもなく贅沢な生活そのもの。ところが、皆、そう感じない。
成熟社会特有の、傲慢極まる感覚が完璧に染み込んでしまったと言ってよいだろう。

「揺り籠から墓場まで」の福祉社会を実現した、「老大国」と呼ばれし頃の英国の姿を思い出させられる状況だ。
当時の日本は貧しかった。その目から見れば、早く退職して田舎の緑豊かな土地でのんびり暮らせる社会は、うらやましい限り。しかし、その結果、英国がどうなったかはご存知の通り。職は無くなり失業者は溢れかえり、貧困層の生活は最悪の状況に落ち込んだのである。
ところが、こんな話をすると烈火の如く怒る人がいる。現実は見たくない訳だ。

おそらく、これこそが日本の伝統的な精神風土。

第二次世界大戦を見ればよくわかる。
どう見ても負ける戦争でしかない。にもかかわらず、あえて仕掛けたのである。負けるしかないと見ていた人は少なくないが、皆、その流れに迎合したからだ。
お陰で、国土を絨毯爆撃され、挙句の果てに原爆まで落とされてしまった。沖縄など惨憺たる状況。そこまできても、最後まで戦うというだけの無能な宰相を全ての組織が支えたのである。
そう、「一人一人が竹槍持って、一丸となって頑張ろう」と声をかけあって。
それを止めさせたのは一人の決断。指導者とは本来そういうもの。

ちなみに、この戦争に反対し続けた組織もある。ただ、そのトップは敵国のスパイ。そして、戦後は、まともな活動家をスパイとして断罪した訳である。言うまでもないが、その体質を変える取り組みはなされていない。

こうして見てみると、現在の状況と瓜二つでは。

当たり前だが、どこの国や民族も、大衆が合理的に動くことはない。指導層とは、その心情を理解しながら、国として破滅の道を上手に避けるもの。
直接民主制を採用しないのは、ここに理由があるが、日本の場合はその意味がほとんどないどころか、副作用の方が大きいかも。

日本は政治的指導層の質がとてつもなく悪い。というより、実現したい国家像がある訳ではない、思想性皆無の政治屋が力を持つからである。人々を動かす言葉が生まれる筈もなく、進むべき方向に関する判断力が欠落している人が、国家の意思決定を行うことになる。危険なことこの上なし。
ところが、そこまで劣悪とわかっていても、主要組織はそんな政治屋を支える。

どうしてこうなるかと言えば、思想性が欠落する人材を頭に抱えた方が、思ったように動かすことができそうだから。便利屋に映り、当座、それで結構となる訳だ。ただ、そう直裁的には言えないから、代替政治家も見つからないし、混乱を避けようとの主張を繰り広げるのだが。「まともな政治家出でよ」ではなく、「劣悪政治家だろうが、とりあえずまかせよ」と主張しているにすぎず、はっきり言えば、都合の悪いことをされかねないから「まともな政治家を出すな」ということ。政治組織外の指導層も全く同じ穴の狢ということでもある。腐敗は政治組織だけにある訳ではない。

言い換えれば、増税と東電救済を進めるには、今の政治状況が好都合と考える組織が政権を強力に支持しているのである。
従って、日本のこうした政治状態は長く続くことになろう。

本質的な課題を曖昧なままに、対処療法だけで動く、日本の組織は、悪循環に入ると行き着くところまで進むしかないということ。


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