■■■■■ 2012.2.13 ■■■■■

 日本のビジョンを考える上での注意事項

知的好奇心をそそられるような、日本のビジョン提起を見かけることは稀。そんな例外を、時々拝見するブログで見かけた。で、ポイントをご紹介。(2012年02月11日 「 維新塾の応募者の多さからのわたくしの夢想」)
 ・根本思想は自給自足。
 ・世界の人々とフレンドリーにつきあう。
要するに、「鎖国政策」。
 ・エネルギー、食料、着るものは自前とし、これに生きがいを感じる国柄に。
 ・日本語をしゃべろうとする外国人を優遇。
これこそ、日本が世界ナンバーワンになれる道という訳。

これは、あくまでも仮説とのこと。科学者的には、これができないというなら、その反証を示せとの提起を意味する。
と言うか、こんな議論さえできない萎縮一方の科学屋さん達に対しての苦言と見た方が当たっていそう。

それはともかく、「自給自足」や「鎖国政策」との指摘は鋭い。
これこそが、平均的日本人の体質に一番合っている政策だからだ。

現象論的には、こうした政策は既得権益者優遇策でしかないが、日本における経験則では、これこそが安定した社会を作れる道であるのは間違いないのである。たまたま、この手で、悲惨な生活を送らされる底辺層を薄くすることが可能だったということ。その層とは古代では奴隷だし、現代で言えば、お金をもらって無為な生活を送るだけの人達や明日の食い扶持に頭を悩ます真面目な貧窮生活者に当たる。
従って、ある面、真実を突いていると言えなくもない。
ただ、日本だから通用するという点に注意を払う必要がある。ココが肝。

ついでながら、世界に通用する一般論ではこうなる。
グローバルな自由経済体制にしてしまえば、膨大な数の奴隷的境遇の人達が経済圏に入ってくる。先進国の中間層として、同じような労働をしていた人達の職が奪われるのは当たり前の話。しかし、それは民主主義制度が崩れ、搾取がひどくなり、抑圧政治化が始まった訳ではない。中間層の生活レベルが下層に平準化し始めただけのこと。ただ、心情的には中間層喪失との危機感を醸成することになるが。コレ、貧困層への優越感を失なうことによる中間層の不快感と見るべきもの。現象としては、富裕層への憎しみとなりがちなので、そう認識する人は少ないが。

つまらぬ説明をしてしまったのは、この理解なくしては、政策の対立軸を明確にできないから。
そう言えばおわかりだと思うが、対立軸は簡単明瞭。インターナショナリズムv.s.ナショナリズム。思想的なもの。
前者を信奉するなら、アンチ「鎖国政策」。後者はプロ「鎖国政策」。それだけの話。

言うまでもないが、日本の主流は後者。小生の実感だが、それはこんなところから来ているとも言える。・・・
日経新聞2011年11月の「私の履歴書」にはビックリ。大証券会社の元トップが、突然、自分は世界連邦主義者だと表明されたから。日本では、隠れ国際派として生きるしかないのが実情ということ。
思わず、国際的に有名なバンカーから講義を受けた時のことを思い出してしまった。バブル以前の話だが、国際派は絶対に頭取にはなれない社会と断言されたのでガッカリした覚えがある。もっとも、それは当たらなかった。しかし、逆に、後日、お飾り役だったことがわかってしまった。

こんなことを言っても、なにが言いたいか、ほとんどわからないかな。

要は、日本の政治的再編で重要なのは、コノ軸。ただ、象徴的課題で言えばなんでもよい。TPP賛否はわかり易いが、道州制賛否でも。しかし、これを小さな政府v.s.大きな政府や、地方分権v.s.中央集権は、流動化の端緒としては絶好な対立軸だが、政治が動きはじめたらコレは絶対に駄目。この感覚おわかりかな。
そうそう、ここでナショナリズムと呼んでいるのは、国粋的な感情を指しているのではないのでご注意のほど。日本の場合、インターナショナル派の方が国の独自性を大切にしていて、ナショナリズム派はご都合主義だったりすることの方が多い。ここで言う、ナショナリズム派とは土着主義ということ。尚、日本の左翼政党は、おしなべてアンチインターナショナル主義者の集まりであり、反企業的なナショナリズム派と位置づけるべきだろう。

ますます訳がわからぬ話に聞こえてきたかも知れぬ。
どう説明すべきか、ちょっと考える時間を頂こう。


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