■■■■■ 2012.6.19 ■■■■■

  とある科学史本を読んで

「科学リテラシー」の必要性を説く方が翻訳された、一般読者向けの科学史本(改訂版)を読んだ。特段の興味を覚えた訳ではなく、なんとなく、表紙絵に惹かれて。
と言っても、薄いグレーの背景色にデカルトの「屈折光学」に掲載されたブドウ酒樽の図が載っているだけ。いたって地味な装丁。それが、所謂「気品」を醸し出している訳である。と言うか、税抜き価格\4,200の格調さを感じさせる仕掛け。

ただ、特筆すべきはそんなことではなく、翻訳タイトルの方。
訳者と編集者の共同作業で練られた文言だそうだが、なんとも不思議な代物。
  原書:「Revolutionizing the Sciences」
  訳書:「知識と経験の革命」
訳者によれば、直訳は「科学に革命を起こす」。ここでの最大の問題、あるいは翻訳上の難点は、Sciencesとか。科学、学問、知識のいずれにすべきか迷ったらしい。素人にはよくわからぬお話。

副題はさらなり。
原書:「European Knowledge and Its Ambitions, 1500-1700」
訳書:「科学革命の現場で何が起こったか」
(註) 「科学革命とは、知識とそれを獲得する方法の概念が再構成された、史上に並ぶもののない革命だった」、との本書の骨子をタイトルで明示したかったようだ。

それはそれとして、
小生の読後感からすれば、圧巻は、誰でもが革命家的と見なす科学者達の実像を描いたところ。彼らは、権威打倒に立ち上がった訳ではなく、現実的な学界人だったのである。ある意味、それは泥臭い生き方だが、生活臭が漂っていたことを意味しない。本人の意識がどうあれ、巨視的に見れば、新潮流の科学思想の結果でしかない。そんな姿が見えるから、面白いのである。

科学を以下の2つの観点で眺めるから見えてくるとも言えよう。
  (1) 自然哲学的なもの
科学によって世界は知的解釈が可能との思想。通俗的表現をするなら、思弁だけのスコラ主義、あるいは形而上学的と言ったらよいかな。要するに、論理で「どうして」を明らかにする訳である。従って、ここに含まれる「数学」は、この領域での核にはなり難い。しかし、その論理的厳密性は明らかであり、その観点で重視されることになる。そのため、結果的に、次の(2)の呼び水になってしまう。
  (2) 役に立つもの(道具性と呼ぶようだ。)
理屈通りに世界が動いていることを説明する手段として使えるとの意味。

1500年から1700年にかけて、この両者がもつれ合いながら革命が勃発したことになる。「(1)→(2)」の単純発展とは言い難い感じ。
時系列的に見れば、16世紀は、ヒューマニズム(人文主義といったところか)主導の科学ルネッサンス期。それあってこその、17世紀の本格的な科学革命成就。

ともあれ、ここら辺りに、欧州文化が生み出した「科学」思想の特質がありそう。何が知的価値かという点では大きな変化が生まれたが、両者の繋がりは切ろうと思っても切れるものではなさそう。素粒子物理学や遺伝子生物学を考えると、それは、現代においても通用していそう。

(本) ピーター・ディア(高橋憲一 訳):「知識と経験の革命 科学革命の現場で何が起こったか」 みすず書房 2012年3月19日
(訳者ひとこと) 高橋憲一:「科学革命について物語ること」 http://www.msz.co.jp/news/topics/07676.html


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