■■■■■ 2012.8.19 ■■■■■

  ノマドとは

どうも、流行言葉である「ノマド」の概念が人それぞれのようだ。
と言っても、普通は軽い言葉として使われるだけだからどうでもよい話である。組織のしがらみに無縁なフリーランスで食べていく程度のノリが多いのでは。そんな状況で、言葉の定義うんぬんでもなかろうとは思うが、ちょっと気になった。
チラリと検索したら、ノマドがらみの歴史話が登場してきて、なんとなく違和感を覚えたからである。小生は、ノマドとは"遊牧民のような"「非定住民」を指すと思っていたから、特にそう感じるのかも知れぬが。

ノマドの典型、流浪の民たるロマ(差別用語としてはジプシー)もその流れで読んできた訳。彼らの「手に職」というのも付随的なものでしかなく、「グループ命」の集団という点こそがその本質と見ているのだ。国家観を全く持たない、非定住型の商人や職人、あるいはエンタテイナーだらけだとしても、それは孤立した個人主義者の集まりではない。ノマドを歴史的に語る際は、そこを見逃すべきではなかろう。

その観点では、食うために、やむを得ずに、今まで住んでいた生活圏から離別して都市に流入する浮浪者とは全く違う人達である。もちろん、単なる被差別民も該当せず。差別する側の生活機能に組み込まれている、身分制度最下層の定住者にすぎないからだ。反権力意識がいかに強かろうが、差別者が決めたルールに従って生きているのが実態。ノマドに、そんなルールがあろう筈がなかろう。
と言って、都市内住所不定の商人、職人、用心棒が当てはまる訳でもない。これらの大半は、個々人のアイデンティティで生きており、組織への帰属感が薄い人達だからだ。もっとも、集団から孤立しての生活は熾烈極まるから、その心の間隙に入り込む宗教がこうした人々をまとめあげることはあろう。しかし、これは、もともと集団としてのアイデンティティを持っているノマドが結集したとは言い難い。

日本では、はなから移動生活が成り立たなかったようで、狩猟採取経済の時代でも基本は定住。遊牧民的体質は皆無だったと見てよさそう。山の民とされるマタギにしても、家族ともども移動生活という訳ではないから、定住生活の派生的存在だろう。
従って、日本では、もともとノマドは存在しなかったのだと思われる。
まあ、しいて呼べそうなのは、船で生活していた漁民グループくらいか。

この辺りを曖昧にして、イメージだけで理屈を捏ね回すと、間違った解釈をしかねないのではないかと心配である。
何故そんなことを言うかは、遊牧民の生活を考えればすぐにわかる筈。個人として孤立すれば、それは生活の糧を失うことを意味する社会だからだ。繰り返すが、帰属感は絶対的なもので、「グループ命」の世界で生きる人達なのである。結束を乱す輩の存在は、全員の命を脅かすものになるからそうなるのも致し方ない。統治体制も、その観点から、グループ統括者による独裁型統治を選ぶのが普通。

日本における村的社会が信奉する「和」も、結束を乱す輩排除が原則だから、そこだけとればよく似ているが、統治の仕組みは180度違う。遊牧民的な独裁体制は滅多に敷かないのである。細かなことを知らない指導者の指示に従うより、現場毎に工夫して、勝手に細かな対応をした方が成果があがるのだからそうなって当然。従って、必要になった際、内部対立調整と外部への対応だけしてくれる、お神輿に乗った指導者が一番有難い訳である。(ただ、成果が出なくなったり、内部対立回避がむずかしいとか、外部の問題が余りに大きいと、どうにもならなくなる。)
こうした社会では、極く狭い分野で特殊能力を発揮できる一匹狼は、ほったらかし状態で、認めてもらえるが、それ以外は徹底排除の憂き目。それが日本の掟。

(当サイト過去記載) 札幌で若者ホームレス急増と聞いて (20120806)
(blog) 2012年06月21日 02:36 一向一揆という「ノマドの反乱」 池田信夫


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