■■■■■ 2012.9.13 ■■■■■

  ブードゥー教的科学者だらけ

進化論を否定する科学者が存在することはよく知られている。
それも、異端者という訳ではなく、一流の方だったり、いかにも頭が切れそうな大学院生だったりする。それを頭ではわかっている気になっていても、いざ、自分の周りにそんな人が存在していることに気付いたりすると、日本の科学者はたいていは大いに面食らうもの。
その結果、宗教は凄いネという感想を漏らすことが多い。多分、余りの違和感から、あの人は科学者じゃないと感じているのだと思われる。

その気分はわからないでもないが、自分達はそんな発想とは無縁だと、思い込んでいることの自覚に欠けている点が気にかかる。この自覚を欠くと、宗教観で科学を弄ぶことになっても、全く気付かないからである。

その典型例が、放射線を長期少量浴びることの危険性のお話。この議論がお好きな科学者は少なくない。データを引用した実証的な議論をしているように映るが、中味は単純そのもの。それが、どんな主張か、よく考えて見るべきだろう。

常識で考えればわかると思うが、この場合の危険性とは、DNA損傷による細胞変異。余りに損傷が酷ければ、細胞は死滅するか、免疫機能が働いて異常化した細胞が増えることを防ぐことになる。いわば、人体の修復機能だが、長期的にはその能力を上回る変異が発生することもある。一般には、癌化という形で現れることになる。
従って、損傷の程度で健康への影響度を見積もることができることになる。
この理屈を前提にすれば、細胞変異発生のリスクがどの程度か実験データを集めれば、危険性のレベルは十分判断できることになる。

普通の考え方をする人なら十分納得できる理屈。そうなれば、常識的には、健康阻害リスクを考える場合、放射線だけでなく、突然変異を発生させる様々な要因を検討し、リスクを検討するのが当たり前。しかし、そのような議論はほとんど耳にしない。
そう言えば、おわかりだと思うが、大騒ぎの放射線量では他の発癌性物質のリスクと比べて一桁以上低いレベルでしかないのである。常識を有する人なら、そんなリスクを云々することなどありえない。他にもっと高いリスクがうじゃうじゃあり、それは普段の生活では別に珍しいものではないからだ。安全とされる水や食品でも、微量分析すればリスクある物質は含まれている訳だが、その危険性をいちいち議論などしないもの。時間の無駄だと考えるからである。
ところが、そんなリスクより明らかに低いにもかかわらず、微量放射線量のリスクを議論したい科学者が大勢存在するのがこの日本。科学機器の性能が良いから、そんな放射線量でも簡単に測定でき、その値を示して危険ありと主張する訳である。

まあ、測定方法や、リスクの有無について検討しているのだから科学の範疇に入るといえなくもないが、その一点にだけ注目するというおかしな手法が採用される。
これに比べれば、進化論否定論者の方が科学的と言えそう。どのようにして生命が創出されたのか、未だに科学的に説明できないのだから、進化論は間違っているという理屈には一理あるからだ。要するに、進化論否定論者は、創造主の存在を否定できる証拠は無いと言っているにすぎないのである。
それに比べると、微量放射線被曝リスクに関するお話は、その「一理」さえ欠く。と言うか、構築されてきたDNA損傷の理屈は全く当てにならないと主張しているに等しく、反科学に近いからだ。
まあ、そんなことはわかっていながら、政治的に立ち回る人が多いのかも知れぬが、それはブードゥー教的科学を広めているようなものであり、暗黒政治への流れを作っているのと同義。こんなことをしていて日本は大丈夫なのかネ。


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