■■■■■ 2012.10.1 ■■■■■

  戦略性なき外交との批判しかできないのかネ

先日、とある野田政権批判を耳にして大笑いした。
「戦略が無いから、こういうことになるのだ!」というよくあるステレオタイプのもの。もちろん、えらい剣幕。

それが何故可笑しいかって?
謝罪外交はけしからんと言っていた人の発言だからである。

野田政権とは、その線で政策転換を果たそうと動いているのではないかな。まともにそんな動きを見せた初の政権と言ってよいのではなかろうか。そのように見れば、極めて戦略的に動いていると見なすこともできる。それが、意図的だったか否かは別として。
ところが、この批判者にとってみれば、それではこまるのだろう。口だけ達者で、米国からの圧力ですぐに腰砕けになった政権こそが真っ当と言いたそうなお方だから。

だいいち、野田政権が戦略もなしに動いているとしたら、どうして中国大使を更迭するのかネ。
国内は税金バラマキを当てにしている産業だらけで、経済成長の頼みの綱である輸出産業は中国市場依存だし、企業の投資先も巨大市場の中国以外にはなかなか見つからない状況。にもかかわらず、その虎の子産業が盛況となる流れを作ることに注力しそうな大使の首を切ったのだゼ。日本の政権は、経済優先ではないと、宣言したようなもの。大きく舵を切ったことを、普通は戦略的に動いた証拠と見るものだが。

ビジネスマンなら、法などあってないような独裁国に大枚叩いて投資した日本の権益と居住している大勢の日本人を守ることこそ国益と考えるのは当たり前。尖閣問題を荒立てれば、これが危うくなるのは最初からわかりきっていること。外交官の立場だろうが何だろうが、それを防ぐために発言するのはおかしなことではない。要するに、国益という点で、野田政権とは考え方が真逆だったことを如実に示す例ということ。
そして、結局のところ大暴動勃発。そんなことは、大使による指摘などなくても、予想の範囲。余程に無能な首相でない限り、そんな動きは織り込み済みの筈。
この状況で、「戦略が無い」との批判。一体、どういう意味か全くわからず。

戦略策定の方法論を学び、それを駆使すれば戦略的に動けると思っているのかも。様々な戦略パターンを習って、そこから最適なものを選んで、それを公表すべきと考えているのだとしたら、こまったもの。そんなやり方は個別課題における政策選択の話だからだ。戦略の概念が違うということか。
そもそも、戦略的に動くにはその前提がある。それが曖昧なら、表立った戦略方針を打ち出せる訳がない。戦略オプションを並べることさえできないと言った方がよいか。ここもおさえておくべきポイント。

○現状認識が一致しているのかネ。
 相手が強いのか、弱いのかさえ、見方が違うのでは。
 そして、相手が何を最優先しているのか。
 それは何故か、わかっているのかナ。

○自分達は、何を実現したいのか、はっきりしているのかい。
 経済権益を守りたいのかい。
 それとも面子かね。覇権国になるつもりはあるのかな。
 あるいは、人権を守る社会を広げたいと思っていたり。

もちろん、これだけではない。日本の組織風土は、リーダーの意向にそのまま従うことを是としていないから、常に、皆が納得しそうな戦略方針か考えながら動く必要がある。リーダーを支持すると言っておきながら、その方針を否定するという訳のわからぬ人だらけなのだ。実に厄介極まる。
しかも、理屈はよく分かった、それで行こうと賛成してくれたら、OKとはいかない。
総論賛成なだけで、各論では、各自の都合で平然と逆の動きを始めるから始末が悪い。一筋縄ではいかない組織なのである。それこそ、反対ゼロで方針が採択されても、実態は逆噴射ということさえある。戦略方針などあって無きが如し。

ここまで書けば、どうして大笑いしたか、ご想像がつくのでは。
日本は大国の地位にあり、土下座外交を止め、自己主張すべきだというなら、今の野田政権の動きは十分「戦略的」といえる。その動きが気にくわないなら、他の戦略オプションを提起すべき。それだけの話。
戦略を考える力が無いのは、批判されている方ではなく、批判している側なのである。

尚、お間違いにならないように付け加えておくが、野田政権の動きに、「戦術的に」稚拙な点が多々あるのは確か。言うまでもないが、戦術と戦略とは次元が違う話。
お勧めの政権とは言い難いが、もっと質が悪い政治家も大勢いる。それよりはまし。


(C) 2012 RandDManagement.com    HOME  INDEX