■■■■■ 2012.10.22 ■■■■■

  PCウイルス冤罪事件と社会風土について

脅迫文を書き込んだして、威力業務妨害容疑で逮捕され、保護観察処分を受けた少年に対し、県警が誤認逮捕だったことを認めて謝罪したとのニュースが流れた。
下手すると、犯人扱いのまま「一件落着」で終わる可能性もあった訳で、濡れ衣がはれて本当によかった。

誰でも、同じ目に合う可能性があった訳だから、決して他人事ではない。しかし、冤罪の可能性を感じても、ほとんどの人には助ける方法が思いつかない。従って、知らん顔するしかないのが実情。
このため、捜査の質を上げろとか、捜査のやり方を抜本的に改めろという主張が叫ばれることになる。それは、ミクロでは正しいこともあるが、それが及ぼす副作用を考えておく必要があろう。もぐら叩きならまだしも、総体で悪い方向に向かうことがないか検討せずに進むとえらいことになりかねないからだ。「悪いところを直していこう」といった単純な改革方式が成功するのはマグレと見るべきなのである。短絡思考が流行らないよう祈るばかり。

今回の事件も、ミクロで見るだけでも厄介な問題が垣間見えてくる。

○真犯人発見は難しそう。
すべての通信トラフィックを傍受している仕組みを使うなら別だが、膨大な通信ログの記録から犯人の足取りをつかむのは難しいのでは。その辺りを早急に判断し、実情を正確に発表する必要があるのでは。このままでは、どの程度のリスクかあるのかさっぱりわからないし、どうやればどの程度防げるのかも、曖昧模糊としたまま。こんなことでは、インターネット社会の基盤が揺らぎかねない。理想論や、精神論での対応を止めないと事態は急速に悪化するのではないかと危惧される。

○誘導尋問問題は悩ましい。
時事通信によると、県警は、取り調べで不適切な誘導の可能性を指摘したそうだ。そりゃそうだろう。報道によれば、真犯人しか知りえないペンネームの由来まで自白したらしいから。
ただ、自白が「証拠」として、極めて重視されている以上、誘導尋問的取調べがなくなることはあり得まい。ここは承知しておく必要があろう。捜査側にしてみれば、いかに「吐かせる」かが勝負。誘導か否かは紙一重になっていくだけだと思われる。

○自白しなければ、さらなる不利益を被った可能性もある。
一般に、真犯人と決められてしまうと、自白しなければ、長期拘留されるなど、社会から隔離されてしまい、その後、元の状況への復帰は極めて困難になると想定される。

○弁護士は冤罪を防ぐ側にいるとは限らない。
この冤罪では、2秒で200文字を記載したことになっていると報道されている。素人にしてみれば、コピーペースト記入ではとなるが、なにか問題があると指摘しているのだろう。そういう点では、弁護活動がどうなっていたかはなはだ気にかかる。
弁護士は、情状酌量要請など、罪を軽くするための法廷戦術のプロではあるが、冤罪を晴らすべく力を発揮できるとは限らないからだ。
今回の一大特徴は、弁護士声明がニュースにさっぱり流れない点。被疑者の意向を代弁して、世間に訴える役割を全く担っていないのは明らか。

○疑わしき者は報道によって確定的な犯人にされる。
少なくとも、冤罪の可能性を示唆するような報道にお目にかかったことはない。つまり、「疑わしきは罰する」ことを是認しているということ。それはマスコミ文化だが、おそらく社会風土でもあろう。警察や司法の姿勢は、それを反映していると見ることもできそう。社会安定のためには、それも必要とされているということ。

○物証不完全でも有罪となることが多そう。
冤罪報道は時々見かけるが、確実に冤罪と言える物証が見つかり、見方が覆った時である。このことは、状況証拠を積み上げただけで、なんらの物証も無いにもかかわらず有罪になったことを意味していそう。「疑わしきは罰せず」は通らないのである。無実の可能性はあるが、はっきりわからない以上、無罪にはできないという方針が採用されていると考えるしかない。このことは、捜査担当者が、有罪シナリオを作成してしまえば、それに沿った判決が出る可能性が高いということ。

○冤罪は自力ではらすしかなさそう。
クレジットカード被害にしても、被害者が被害にあったとの証拠を提示する必要があると聞いたことがある。暇人なら別だが大変な作業だし、証拠が揃わないこともありそう。素人だから、雑な推定だが、冤罪にしても同じようなものかも。素人が、反証を集めるなど簡単にできる訳がない。

○性善説社会論が一番の曲者。
日本社会は性善説に立脚しているという話をよく耳にする。これを嬉しがるむきもあるが、恐ろしい見方を含んでいることに、注意しておく必要があろう。疑いをかけられるような輩には、必ず問題があるもの、という見方に繋がり易いからだ。冤罪であげられた瞬間、アイツは例外的とされてしまいがち。皆、良い人だらけで成り立つ社会から、そんな人は当座排除するしかナイネとなりかねないのである。
一方の性悪説とされる社会だが、単に現実に立脚して、できる限り社会の仕組みを守ろうと動いているにすぎないのでは。
間違ってはこまるが、後者の社会の仕組みが優れているとは限らない。極く一部の犠牲は伴うものの、社会の安定性を保てるかどうかという視点で評価すれば、前者の方が優れていそう。
要するに、たった一人の人権を守るより、その方は不運ではあるが、犠牲者になって頂いて、社会の安寧を守ろうとの社会もあるというに過ぎない。全体主義との批判が出てもおかしくないが、個人主義に立脚していないと、批判されてもおそらく理解できない。

これらの点を考える場合、グローバルな視点も忘れるべきではない。ネット上の犯罪に国境など無いからである。この辺りは法律的にも全く不備なままだから、注意が必要である。
それと、日本における犯罪対応姿勢が米国文化から見て、どう映っているかも合わせて考えておく必要があろう。

(記事)
神奈川県警、誤認逮捕認め謝罪=少年への取り調べ検証―PC遠隔操作事件 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版[時事通信] 2012年 10月 21日 7:03 JST
PC遠隔操作 「不当逮捕」少年に謝罪 神奈川県警 横浜地検 東京新聞 2012年10月21日 朝刊


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