■■■■■ 2012.11.3 ■■■■■

  大学過剰との認識は時代錯誤では

文化の日、たいしたニュースもなかろうと思いながら新聞見出し一覧を眺めたら、大きな扱いの記事が目にとびこんできた。しかも、スポーツ新聞記事見出しが、大マスコミより先に並んでいる。実に面白い現象。
  真紀子文科相暴走“史上初”答申覆し3大学不認可 スポーツニッポン
  真紀子文科相、審議会が認めた大学新設をひっくり返した! スポーツ報知
大騒ぎできそうな、格好のネタが舞い込んだ訳である。

見出ししか読んでいないのにコメントするのもなんだが、そこはご勘弁のほど。・・・どうせ、どれもこれも同じようなトーンの記事と踏んでのこと。新設大学の「認可見送り 田中大臣決定に波紋広がる」(NHK)以上の話を書くマスコミはおそらくないのでは。
要するに、改革もせず放置しっぱなしのままで、大学開設認可の答申を出すようなやり方には問題があるから、文部科学大臣としてはそのまま通す訳にはいかぬとなっただけのことだろう。
  3大学開設を認めず 文科相「認可のあり方に問題」 日本経済新聞

当然ながら、これに対する反応としては、以下の見出し以外になかろう。
  「来年度では駄目なのか」 文科省内からも驚きの声 MSN産経ニュース
  大学新設、文科相認めず 学校側 怒りと困惑 東京新聞

実態から言えば、確かに、真紀子流「劇薬」(日経)。もちろん、これが薬か毒かは立場で変わる。
小生はなんの利害関係も無いから、どうでもかまわぬというところ。と言うか、この手の動きはあって当然と見ているにすぎない。
言うまでもないが、そう考えるのは、田中真紀子文科相が官僚支配政治打破を掲げる政治家だからだ。どこかで一石を投じようと、手薬煉をひいていたに違いないのである。
常識的には、この時期に答申が出たということは、すでに来春開校の運びになっている筈。そして、大臣に残されている職務は、答申内容の話を聴く場を設けて、署名捺印するだけ。単なる儀礼。正確に言えば、それだけでなく、お膳立てされた式典出席も加わる訳だが。それが日本の官僚政治の仕組み。それを容認する訳がなかろう。

まあ、文科相の主張がまともなら、ここであえて混乱を引き起こすのも悪くないかも。関係者にとってはたまったものではなかろうが、民主主義政治とはそんなもの。被害甚大でも、そこで皆が学んでいく意味があると考えるべき。
ただ、それは理屈にすぎない。今回はいかにも筋が悪そう。時代ズレしたトンデモ発想で動いたように見えるからだ。

どういうことかと言えば、大学新設抑制の旗を振ろうとしているからである。
確かに、ミクロで見れば、新設抑制は妥当と言わざるを得ない。質的に満足できる水準とはとうてい思えない大学だらけだし、定員割れの大学も少なくない。そんな状態で、同じような大学をさらに増やしてどういうつもりだと言われれば、答えに窮するのは間違いない。それに、専門特化型卒業生を排出し過ぎてしまい、人材供給過多でこまっている分野も少なくない。そんなことを指摘されれば、誰だって、大学は多すぎると考えてしまう。
しかし、マクロで考えれば、この考え方は間違っていることに気付く筈。
質を高めたいなら、新しい取り組みに挑戦する大学をドシドシ認可し、駄目な大学に次々と潰れてもらうことが一番。これが正論。教育者の流動性が無いのだから、改革するにはこれしかないのである。副作用覚悟で、新しい取り組みに賭ける大学をもっと沢山認可すべし。同時に、レベルに達しない大学の廃校化だ。学校数コントロールなどなんの益もない。

そして、もう一つ。それは、もっと重要なのだが、大学進学率を上げること。これは緊要な課題である。

ただ、こうした主張を表立って打ち出さないというのが、改革派の特徴だった。一般には、上記のミクロ論でお茶を濁していた訳。そうでもしないと、質の悪い大学を乱立させて、税金垂れ流しを図る御仁が動き回ることになるのは見えているからだ。と言うか、それが現在の状況そのものだが。
だが、ここに至っては、そろそろ本音で主張をした方がよいのではなかろうか。

はっきり言えば、進学率が上がらないなら、日本は発展途上国化しかねないということ。先進国のままでいたいなら、進学率を上げ続けていく必要がある。
日本は若年労働力不足の老人大国であり、社会を支える単純労働者を国内調達でまかなうことはとうてい無理。海外から大勢の人々に来てもらうしかないのだ。そんな時代がすぐ先にきていることを忘れるべきではなかろう。
このことは、ガテン系だろうが、職人だろうが、それこそバーテンを目指す場合でも、できれば大学を卒業してもらいたいのである。指示に諾々と従うような、マニュアル型労働ではなく、マニュアルを作れる立場になって欲しい訳だ。少なくとも、スキルを欠く人々を指導できる力量をつけるため、大学で潜在力をつけて欲しいということ。

残念ながら、日本の進んでいる道はその方向ではない。この流れがこの先変わるかも、なんとも言えない。
ただ、その変化が来てから対応するのでは遅すぎる。今から手を打たねば間に合うまい。そのためには、大学生の数をさらに増やす施策を打つ必要があろう。間違えてはこまるが、定員増を急げとか、水増し入学せよといった主張をしている訳ではない。最初に手がけるべきは、大学教育コストの徹底削減である。それができない大学には、税金投入をせず自滅して頂くか、独自路線で動いて頂くのが一番。(社会の仕組みが違うのだから、他国との教育費用の比較など全く意味がない。)
当然ながら、様々な進路に対応できるように、大幅なカリキュラム変更も不可欠。一律型規制も撤廃するに限る。

この場合、こうした施策が、エリートを叩き上げる仕組みを壊すことがないように注意を払う必要がある。実は、大学全体の質を問うより、こちらの質を考える方が先決。エリード選別視点がいい加減だし、ガツンの一撃無き無難なカリキュラム教育に徹している状況であり、これを改めない限り日本の産業は沈む一方だろう。
今のまま進めば、日本経済を支えている企業が、団栗の背比べしかできない大卒だらけになってしまいかねない。その結果どうなるかは、自明。


(C) 2012 RandDManagement.com    HOME  INDEX