■■■■■ 2012.12.27 ■■■■■

  薩摩芋の名称から見た伝播仮説

薩摩芋という名称は、欧州人が東南アジアから薩摩に持ちこんだ芋であることを示す名称と習った覚えがある。
それでは、当の薩摩ではどう呼んでいるのだろうか。・・・「カイモ」。
ふーむ、そういうことかと妙に納得。渡来/普及仮説が自然と頭に浮かんだからである。

と言うのは、全体の状況がなかなか面白いのである。発音上の音便的変化形はあるものの、渡来元が3種類あるからだ。
  ・もちろん、全国的には「薩摩イモ」
  ・はぼ九州全体と土佐・長州の一部は「唐イモ」
     -薩摩の「カイモ」もこの」変形と見なしての話
  ・一部に「琉球イモ」
     -九州では、長崎や佐賀辺り
     -土佐・長州の近接地域
     -能登半島
  ・小笠原では上記3種が同居
  ・言うまでもないが、南島は別
     -奄美は、「ハヌス」
     -沖縄は、「ウム」
  ・瀬戸内海沿岸は単なる「イモ」

はてさて、コレをどう見るか。

小生は現代に伝わる元は沖縄産と見た。
欧州人が持ち込んだのではなく、薩摩藩が沖縄から優秀な種芋を入手したのでは。この作物は、薩摩の土や気候に合うし、経済発展の核になるということで、特産として大事に抱えたに違いない。しかしそれを「琉球イモ」とは呼ぶことはなかった。
同じ頃、九州北部に、大陸から同類のイモがすでに導入されていたからである。それはそれなりの品質と生産性でしかなかったが、普及しつつあった。薩摩産としては、自分達の特産物も「唐イモ」系と説明していたのではなかろうか。ただ、琉球渡来品の名称を唐と言うのもどうかと思われるから、軽く「カイモ」。琉球品と言っても、もともとは大陸伝来なのだろうし。
そうこうするうち、次第に、周囲に薩摩系のイモの優秀性が知られてくる。種芋は秘匿されているので、皆、なんとかしたかった筈。そして、ついに沖縄から密かに種芋を持ってくることに成功し、「琉球イモ」が広がり始める気配。
こうなると、薩摩特産品としておくのには無理がある。
そこで、そうなる前に、種芋を幕府に献上し、全国普及を願い出る。これに乗ったのが青木昆陽のイモ栽培運動。芋の品種改良もどんどん進み全国的に薩摩への賞賛が高まった訳である。そりゃ、薩摩イモ様さま。

このシナリオ、如何なものか。言うまでもないが、異端の見方。

(本) 佐藤亮一 監修:「お国ことばを知る 方言の地図帳」(「方言の読本」増補改定版) 小学館 2002年


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