■■■■■ 2013.7.24 ■■■■■

 柔道の風土改革は簡単ではなかろう

指導者の暴力や助成金不正受給が指摘されている全日本柔道連盟に対して政府が是正勧告を行ったそうだ。

まあ、こう言っては顰蹙ものだが、部外者の感覚では、たいした影響力があるとも思えないが。なにせ、オリンピック金メダリストが教え子を強姦したと報じられる世界である。社会の一般常識が通用するとは限るまい。
偏見を交えて、どうしてそう考えるか、書き留めておくことにした。

柔道は「道」がついているから、日本の伝承技に映るが、武器を使わない点から見て、歴史は浅いと考えるべきだろう。武家にとっては棒術を含めたものが柔術だったと思われ、それを明治期に再編した新しい発想の武道と見てよいのでは。
少なくとも、剣、弓、薙刀のような武道に比べれば、その歴史はえらく浅いのは間違いなかろう。相撲に至っては、古墳時代にすでに確立していた訳だし。
この差は大きい。

こうした古代から連綿と続いてきた武芸には、流派が登場してくることが多い。「道」を極めることが第一義だから、どうしても流儀が多様化せざるを得ないのだと思われる。換言すれば、技そのものより、心と体を鍛えることに力を注ぐ体質が濃厚ということ。勝ち負けを愉しむスポーツ感覚とは相容れないものを抱えている訳だ。もともと、生死にかかわることでもあった訳で、楽しさが存在すること自体がおかしな話。
簡単に言えば、こうした武道の一番の特徴は、個人の尊厳こそ命と考える点。それ無しに、術だけ磨くことを嫌悪するのである。それこそが日本の伝統精神ではあるまいか。

柔道も武道とされるが、同じような風土かというと、いささか疑問。

もともと柔道は、警察官の心身鍛錬ということで広がったと聞く。当然ながら、そこで留まらず、徴兵制度のもとで軍隊精神鼓舞の最重要教科化する。武道の一角としてすべての男子がたしなむものとなった訳だ。
素人なので、生半可な理解ではあるが、どう見ても明治期の富国強兵精神の流れが根底にありそう。つまり、警察組織文化ではなく、軍隊組織文化が埋め込まれてしまったということ。

両者は似てはいるが、実は水と油である。軍事独裁国家になってしまうと、そこはよくわからなくなるが。

日本の警察組織が「武道」を重視するのは当たり前である。警官は軍人とは違い、一般社会で暮らす人だからだ。プライドがことのほか重要ということ。これを失えば、権力を持っているだけに、組織的腐敗が一気に進みかねないのである。

一方、軍隊だと、そんな話は理想論。なんといっても、最優先すべきは「上意下達」の規律。多数決とか、現場における議論など、ご法度だし、上官命令に対する批判なと軍法会議モノ。この組織文化は一般社会には適用できないから、軍隊はすべての社会機能を独自に保有せざるを得ないのである。さもなくば、全体主義国家にするしかない。
この文化を組織に取り入れてしまうと、変えるのははなはだ難しい。たとえ内部から批判者が登場しても、誰も耳をかさない文化ができあがっているからだ。

軍隊とは、上層部が無能な高官だらけになったり、腐敗が広がると、歯止めが効かなくなる組織なのである。そんなことは、当の軍人が一番よく知っているから、そうならないように努力している筈。従って、先進国だと、制服組の高官は一般人より勉強しているのが普通。発言を慎むインテリだらけと言ってもよかろう。戦争が勃発して、負ければ元も子も無いから、規律を厳格に保った上で、組織が腐敗せぬよう手をうつのは当たり前である。
そうでない国はえらい目に合うのはご承知の通り。

しかし、軍隊でもないのに、軍隊風な「上意下達」の規律を取り込んでいる組織は、一端腐敗が始まると厄介である。個人の尊厳など無視され、上位者は場当たり的に勝手に事を運ぶことになるからだ。そんな姿勢を貫くことこそが組織強化に繋がると信じているからでもある。
これが進めば、一般社会の常識が通用しない組織と化す。腐敗した軍事組織と全く同じ症状を呈することになる。


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