■■■■■ 2013.10.1 ■■■■■

リスクの合理的判断のお話

「リスク」を合理的に考える科学者は思った以上に少ない。恣意的に視野を狭く設定し、その範囲外のリスクを無視して議論する人だらけ。そうすれば、自分の土俵で専門家として大いに語れるからで、一種の生活の知恵でもある訳だが。
しかし、社会にとってはえらく迷惑な話。重箱の隅をつつくようなリスクで大騒ぎすることになるからだ。その結果、重大なリスクの方は知らん顔で済ますことになったりする。危険極まりない話。
だが、残念ながら、我々の社会はそういう状態から抜け出せない。と言うより、その傾向はさらに強まっていると考えた方がよかろう。
こうなるのはマスコミの責任と言えなくもないが、もともと大騒ぎすることで成り立つ商売であり、こればかりは如何ともし難いものがあろう。

従って、リスク評価方法の専門家の方々は相当な危機感を持っていると思われる。だが、その方々にいくら頑張って頂いても、皆、馬の耳に念仏状態というのが実態では。
もちろん、こうした頭脳を活用すべしと考える人がいない訳でもない。ただ、それは少数派というだけのこと。
おっと、ここらは、もう少し正確に書いておこう。
多数派とは、「安全派」 v.s. 「危険派」で対立している人達を指す。この方々から見れば、少数派とは「異端」。はっきり言えば「目の敵」。・・・主張が同じだからといって、肩を組んで進むことはできないのだ。わかり易くいえば、絶対多数の「ドグマ派」 v.s. 少数派の「合理主義者」という対立構造ができあがっている訳。
この対立は、「ドグマ派」内の対立以上に議論での解決が難しい。そもそも議論が成り立たないからである。

しかし、今のままだと、リスクが高まる方向に進むことになりかねないから、「合理主義者」は頑張るしかない。その活動には、正直頭が下がる。

ただ、「合理主義者」の方々に欠落している発想が2点ある。
ここら辺りを上手く運べば、社会を動かすことができるかも知れぬ。勝算があるとは言い難いが。

ということで、それをご説明しよう。
以下、だらだらと書くことになるが、例の方がわかり易いということでご勘弁のほど。
尚、2点とは何かは、お読みになってご判断頂きたく。・・・

【その1】
皮膚癌発生のリスクで見れば、おそらく、ダントツの1番が紫外線。これは間違いないと思う。
しかし、放射能が気になる方々からすれば、それはさておき、リスクを考えるなら、真っ先に人工産物の放射能物質となる。そのリスクはたいしたことないと考える人達は、対抗上、自然界の放射線を問題視することになる。
ともあれ、こうした検討の特徴は他の発癌因子との比較をしようとはしない点。「合理主義者」からすれば、他のリスクは多々あり、比較することになる。結果は、放射能の影響度は桁違いに低いとなる。当たり前である。
こんなことを書き始めると、皮膚癌以外にも問題は数多いのだと言い出し始める。放射能話しか頭にないからである。その発想がそもそも非合理的とわからないのである。説明しても無駄である。
小生が、ココで話したいことは、「紫外線のリスクを無視していいの?」ということ。
もっとも、小生も、陽にあたって、ビタミンDでもとろうぜ、などと言う。コレ、科学的にそう思って語っている訳ではない。プラセボのようなもの。いまどき、そんなことでクル病余病など馬鹿げているからだ。屋外で体を動かし、気分転換を図れば健康的ではないかという、まあ、言葉の綾。(本来、こうしたいい加減な発言は慎むべきということか。)
ところが、「ドグマ派」のなかには、これと同じようなことを強硬に主張する人達が大勢いらっしゃるようだ。
しかも、な、なんと、幼児を、裸にして日光浴とくる。
多分、その賛美本も山のようにあるのだろう。
しかし、「合理主義者」なら、まず間違いなくヨセと言うだろう。紫外線の影響が甚大なことは、昔からわかっているからだ。少なくとも、数多くの微細な良性腫瘍が生まれる。腫瘍ができると、それが悪性化する危険性は小さなものではないと思うが、気にならないのだろうか。
しかしながら、すでに述べたように、両者間で議論はできかねる。

【その2】
ご存知かは知らぬが、欧州で、スプラウトのサラダを食べて多くの方が亡くなった。殺菌剤は体に毒ということで使用していなかったためである。特殊なケースではなく、想定の範囲内の事件である。どの程度の細菌汚染と罹患確率があり、その重篤度も予想がついている筈だからだ。「合理主義者」なら、間違いなく、殺菌品を食べヨである。
これを他国の話で済ませることができるかははなはだ疑問。
新聞報道を見ていると、給食での細菌感染を逃れた学校があったりすることに気付く。そんな偶然がある訳がなかろう。殺菌効果不十分と見て、面倒でも洗浄した学校があったことを示唆しているだけのこと。
そう思うのは、日本でも、子供を薬品という毒物に晒すのは止せとの運動が盛んだからだ。もしも、最低レベルの殺菌品が納入されていたとすれば、「合理主義者」なら、リスクを考えて洗浄していておかしくない。黙ってそんな行動を取る姿勢もよくわかる。そんな対処を、嫌がらせと見なされて、止めさせられる可能性が高いからだ。(殺菌剤をさらに落とそうとしての洗浄行動はなかろうと見ての話だが。)・・・冷戦終結後、日本の市民運動が、それ以前の、民主主義的議論を好むリベラル体質から、真逆の「ドグマ派」になったことに気付いているだけのこと。

【その3】
狂牛病怖しということで、米国牛のBSE全数検査を要求したことがある。これは、米国の言うように、無駄な作業である。しかし、小生は、この要求をおろすべきではないと考えるクチ。そこだけ見れば、「合理主義者」から程遠い姿勢。
しかし、食物とはそういうもの。「ハラル」でない肉は食べれぬというのは非合理的でけしからんとは言えまい。これは信仰であると、はっきり言いきることこそが重要である。全数検査に合理的意味など無いし、その分経費はかかるが、その程度の負担をかえって喜ぶ民族と説明すべきと考える。
ただ、間違っても、この姿勢を、日本独自と考えるべきではない。
小生はGM植物栽培賛成のクチだが、それがお嫌いな方が多数の社会での食への利用は諦めるべしというのも同じ発想から。
それに、急いでGM派へと改宗する必要もあるまい。食用食物をわざわざ燃料に使うほど、先進国では食料が余っているのだから。ただ、それが何時までも続く訳はないから、そのリスクを踏まえて、技術的備えは不可欠と考える。
これで終わりだが、最後、話が飛んでいる感じがするかも。それを避けるため一言だけ追加。
米国で、はたして、GM小麦を喜んで食べるかナ。

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