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■■■■■ 2015.2.2 ■■■■■


諷刺「芸術」の終焉

東京国立近代美術館では「高松次郎ミステリーズ」(2014.12.2〜2015.3.1)が開催中。「No.273(影)@1969[→MOMAT]は何回眺めたかわからないが、実に素晴らしい作品である。
・・・ということで、なにか書こうかと思っていたら、全面赤表紙の芸術新潮2月号が目に留まった。題して、「超芸術家 追悼大特集 赤瀬川原平の全宇宙」。
折角だから、眺めることにした。

まあ、高松次郎さん[1936-1998]とは違い、えらくドメスティックな方である。日本の類いまれなる反アヴァンギャルド的風土に気付かせてくれたとも言えそう。そういう点では、「グラフ 思想的変質者から野次馬、そして路上の人へ 赤瀬川原平事件簿」で振り返ってみるのは、高年齢層には意味があるかも知れぬ。

1964年】警察当局、「思想的変質者」をマーク。
高松次郎が前衛芸術「運動」に関与し、新しい地平を切り拓こうとしていた「ハイレッドセンター」頃のこと。冷戦華やかなりし時代であるから、名前からして、当局の姿勢がそうなるのは当たり前。しかし、実際の行動は清掃活動なのである。その名前もメンバーのイニシャルというおふざけ。
「BE CLEAN! 掃除中」なる作業板を立て、揃いの白衣/マスクに「!」印の腕章を付けるという気妙な出で立ちで、銀座並木通りの路面を雑巾がけするというパフォーマンスを繰り広げたのである。

1966年】ついに「お縄」。(東京地裁刑事裁判)
ご存知千円札偽造話。他の偽札との関係はどうなっているのか解説する新聞記事まで登場したりして、まさに大笑い。日本には音楽上の反体制パンクは無いから、その代わりかと思ったりして。どのような「意図」でそんなくだらん作品を生み出したか裁判では陳述したらしいが、そんなものをわざわざ書く馬鹿馬鹿しさを報道したら実に面白かったと思うが。「Je suis Charlie」のフランスとはいささか違う訳である。

】圧巻の新サヨク風刺。
娑婆留闘社、革命的燐寸主義者同盟、革命的珍本主義者同盟といった冴えわたる表現で当時の若者にアピール。特筆すべきは、マッチポンプの赤色過激派という揶揄や、革○珍同盟旗といったあざ笑うか如きイラスト表現が容認されていた点。というか、おそらく当事者達が大笑いしたに違いないのである。原理主義者だったら、烈火の如く怒り狂った筈である。

1971】「櫻画報」でマスコミの雄プッツン。
ご存知、朝日ジャーナルが自主回収するという一大快挙。「アカイ アカイ アサヒ アカイ」というだけのこと。小生など、質の悪い諷刺にしか思えないが、当事者にとっては沽券に係る問題だったらしい。
そういう人達が、未だに、言論の自由を守るためには諷刺は限度をわきまえないといけないといった議論をしているらしいから、大笑いである。
ついでながら、「警察バンザイ」は読売新聞家庭版で掲載を断られたらしい。当たり前田。

1981】芥川賞受賞[尾辻克彦]
1982】超芸術トマソン
1987】路上觀察學会
日本経済全盛時代である。アヴァンギャルド運動家には、手も足も出しようがなかった訳だ。

1997】"赤瀬川家のニラそよぐ屋根"
この家、藤森照信氏設計らしい。流石に、現在は銅板葺きらしいが。まあ、狭い長屋をコンクリート構造にした建築を、「素晴らしい!」と褒めあげないと、下手をすれば生活の糧を失いかねない状況だそうだから、悪くない嗜好かも。
それに、奇想天外を目指すのは「表現の自由」を根付かせる上では悪くない所作。「自然」という曖昧模糊とした概念が格別お好きな人達に冷水を浴びせたようなものと理解したが、そう受けとる人は滅多にいないようだ。エコ命の方々に好評だったとか。これ又、大笑いである。

こうしてみると、大笑いだらけ。一種独特なエスプリ感と言えばそう言えなくもないかも。ただ、日本から外ではなんのこっちゃとなりかねないだろうが。

1998】ベストセラー本「老人力」
小生は読んでいないのでなんとも言い難し。
思うに、諷刺「芸術」は終わりを告げたということでは。それを喜ぶのは、一種のノスタルジーに過ぎぬのではなかろうか。もっとも、それを耳にすると、烈火の如く怒る人も少なくなかろう。そんな日本の風土を、赤瀬川源平氏は身をもって示してくれたと言えそう。


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