■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[分類と体系]■■■ 言うまでもないが、反旗を翻す筈はないから、想像の域を出ない訳ではあるが。(現代の分類観は、天竺・希臘系の、真理を究めるという論理で貫かれており、権威主義的統制に沿った展開に関心が集まることなどあり得ない。勿論、ほとんどの辞書は利用者の便宜性が目的なので、論理的整合性の分類にはならない。) 「說文解字」は、一見、当たり障りのない方針を採用している様に映るが、訓詁の枠内で編纂している様には思えない。その編纂の方法論を語れる人はいないのだから、著者自らが生み出した独自の論理に基づいた文字秩序が提示されていると考えるしかあるまい。(訓詁的思考から生まれる政治的"理"への関心は薄く、もっぱら、文字宇宙全体秩序を提示することに注力しているこよになる。) ---「說文解字」編纂方針--- 📖 方向的同類は集合し、同部となる。 万物は群を成し、分別され異部となる。 条筋が同系なら、同属として繋がる。 理屈を共有していれば、相通じ繋がる。 儒教学派なら、上記は一般論で通用していただろうが、「爾雅」を眺めればすぐにわかる通り、「爾雅」「說文解字」とは180度違う分類になっている。それは字義と字形の違いということとは違う。 分類観とは、換言すれば、宇宙観でもある。論理的に全体が体系化されることで、真理が見えてくることこそに意味がある訳だ。 ところが、「爾雅」は、便宜的に並べているに過ぎず、宇宙観など語りようがない。 同義語[古人用例 通常用例 重畳用例] 事物語[親 宮 器 楽 天 地 丘 山 水 草 木 蟲 魚 鳥 獣 畜] 一方、「說文解字」は文字宇宙が儒教的(官僚)秩序で成り立っていることを示していることになる。そんな世界があったのか、と言うことになろう。・・・これは、現代の分類感覚とよく似ている。 分別化(区分原理確定→重複防止/排他性規定設定→非属者扱いの規定) 体系化(区分領域の相互の系統/位置関係認定) 類属化(網羅性/包括度確認) 成果利用(検索) ちなみに、「爾雅」的な意義分類で参考になりそうなのは、唐代官僚の博物学的著作。 忠志(君王事績)-禮異(儀式習俗異聞)-天咫(天界不思議) 玉格(道教秘儀)-壺史(道士逸話) 貝編(仏教経典録異) 境異(仏教経典録異)-喜兆(吉事前兆)-禍兆(禍前兆)-物革(事物変異) 詭習(奇怪習俗)-怪術(呪術世界) 藝絶藝絶(至芸/秘法)-器奇(道具の不思議)-樂(音楽雑話) 酒食(酒食品料理法)-醫 黥(入墨今昔)-雷(雷/雷神)-夢(夢/夢占) 事感(事物の感応)-盜侠(怪盗/侠客) 物異(珍しいこと/変わったこと) 廣知(俗言/物忌) 語資(逸話) 冥跡-屍穸 諾皋記 廣動植[羽-毛 鱗介-蟲 木 草] 肉攫 ・・・[段成式:「酉陽雑俎」] 📖 <草 木 蟲 魚 鳥 獣>的な分類観なら、本草。 以下に示す様に、前者は天地人の3部、後者は水金土火木の5行を、体系骨子にすべく記載している。しかし、具体的分類には統一的視点を欠いており、論理性が欠落。事実上、便宜的な寄せ集め。繰り返すが、儒学学派内では、こうした分類こそが訓詁の精髄でもあり、世界最高の"理"として誇るべき対象となる。(「爾雅」もそうだが、分類に於ける思考パターンもその目的も全く違うことがわかる。) (上藥-中藥-下藥 x )玉石 草 木 果菜 米穀 蟲獸 [陶弘景:「神農本草経」@c.a.500年] (百病主治藥) 水 火 土 金 草 穀 菜 果 木 服器 蟲 鱗 介 禽 獣 人 [李時珍:「本草綱目」@1596年] ⏩続 (C) 2025 RandDManagement.com →HOME |