■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[12da釋水]■■■
"篇十二迄進むと、「爾雅」の構造がかなり見えてくる。"の続き。但し、主検討対象は「說文解字」の方。
「說文解字」注釈書に「爾雅」版的な分類の篇立構成版が提示されており(通釋30巻に"論"書10巻付属。)、非常に面白いこともあるし。(注釈書類は政治的思惑が絡むし、独自情報を得ている様子も無いから、できる限り参考にしない方針だが、この箇所は解釈と云うより、自己主張の強い文字論なので、一読の価値ありと云うことで。)

先ずは、その、≪徐鍇(921-975年)[後世校訂]:「說文解字繫傳」類聚第三十七(京大L蔵@700-707)≫に掲載されている構成から。・・・

二 三 四 五 六 七 八 九 十 百 千
【詞】於 者 尒 只 乃 曰 兮 于 粤 乎 可 曾 矤 矣 知 <釋詁 釋言 釋訓>
 ー <釋親>
 ー <釋宮 釋器 釋樂>
六府水 火 金 木 土 米
【地(土)山 川 厂 广 丼[井] 宀 <釋地 釋丘><釋山 釋水>
【天(觀象)日 月 云[雲] 雨 <釋天>
(生莫靈)手 足 爪 𤓯 身 目 肉 𦣻
【羽族】鳥 烏 舄 燕 鳳 焉 <釋鳥>
 ー <釋蟲>
【水族】(蟲之長) 魚 龜 它 虹 <釋魚>
【獸類】(大者) 犬 羊 豕 馬 廌 鹿 兔 鼠 <釋獸 釋畜>
【禾竹之類】禾 來 尗 韭 竹 䑞 <釋草 釋木>
 ー (金石)
十幹之類甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 <釋天>歳陽&月陽
十二支子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 丣/酉 戌  <釋天>歳名
經天緯地之謂

何といっても、冒頭字と末尾字で、想いを表現しようとの拘りが面白い。
  「爾雅」…初 ⇒ 六畜 (唐突に、最終で彘が加わる。)
  「說文」…一 ⇒ 亥  (叙に解題あり。)
  「繫傳」…一 ⇒ 亥 ⇒ 文
・・・「爾雅」は【數(一→)】 ⇒【十干-十二支(→亥)】という文字宇宙の根幹をまともに扱っていないということになろう。思想性が欠如していると批判されてもおかしくない。そんなこともあって、「繫傳」は、草木の後に獸を置かず、【禾竹之類】から、【十幹-十二支】に繋げる設定がなされているのだろう。文字の成り立ちを考えると論理的順序になっている訳で。

經天緯地たる<文>を加えたのは、「爾雅」批判がしたくなったからかも。
"文"の意義を綾的文様とか、ヒトに墨×の象形が元と、捉えてしまうことが多く、それはその通りだろうが、"文"こそが字書の大元であって(天地 萬物化生 天感而下 地感而上 陰陽交泰 萬物咸亨 陽以經之 陰以天地經之 人實之⇒"文")、表記記号としての原義を打ち出す必要があると語っているようなもの。・・・「說文」は巻十五叙で、"文"(基本象形記号)⇒"字"(合成)であることを明確に記載しているが、それなら、文字宇宙の総括として"文"は不可欠ということになるとの見方。字体論に、突然、思想論をつぎはぎしたことになる。一貫性を欠いているので、現代人にとっては苦手な繋ぎ方だが、儒教社会では大いに好まれるやり方。

字体系譜に埋没させるなと強烈なパンチを浴びせているともいえよう。






𦣻
├┬┬┬┐
面丏首𥄉須
┌───┘
├┬┬┐
彡彣

さらなる「爾雅」批判は、【六府(五行+米)】に集約されていると言えるかも。「說文」は見えずらいものの、流れのなかに五行を位置付けている。篇を建てていない「爾雅」はどうかしていると言わんばかり。しかも、<天地人>的構成も回避している訳だし。(「爾雅」を詩作用のテキストと見なす訳にはいかないだけの話。)

しかし、「繫傳」が面白いのは、そういう些末なことではなく、「說文」が叙で解説しているように、文字誕生の肝は官僚の設定にあり、その土台は「易」であるとの指摘をとらえ返している点。

つまり、「易」とは、象形と数字の2本柱。両者の始元は言うまでも無く<一>で、<初>である訳が無い。両者の末尾も共通で<十二支#12>。(末尾は完了を意味せず、最初へ回帰する、と「說文」叙。)

字義篇立も、本来的には「易」に従うべき。・・・
古者包犧氏之王天下也 仰則觀象於天 俯則觀法於地 觀鳥獸之文 與 地之宜 近取諸身 遠取諸物 於是始作八卦 以通神明之コ 以類萬物之情 [「易」繫辭下傳 第二章]
  1 仰天 觀象(日月雲雨)
  2 俯地 觀法(山澤崖泉水海)
  3 觀-鳥獸之文(羽毛の様)
  4  -地之宜(草木 産品)
  5 取-近-身(人体諸所)
  6 取-遠-物(各種)
これこそが、儒教社会の分類観。この手の6分類は、六書も同じで、現代人の当たり前の分類観では理解不能。(もちろん、そう感じない人も大勢存在する。)

おそらく、ここまで吹っ切れば、論理飛躍など思いのまま。「繫傳」の一大主張は庖犧氏が【六府】を作ったとなるのだろう。
それはともかく、この主張には耳を傾けるべき重要な点がふくまれている。「說文」の系譜には問題があると言い放っているようなものだから。
字体での、系譜が造れるものかはさしおいて、系譜には2階層あり、文字宇宙の全体像を示すなら1階層目のみとすべしというもの。その中に合字(「說文」叙に云う"字")を入れてはならない。全てが象形創成たるべし(「說文」叙に云う"文")となる。
・・・一歩進めれば、六書分類は実態から乖離しているということになろう。これは、現代人が違和感を覚える2x3形式で分類になっていないというのとは違い、非象形の色々なタイプがあっておかしくないと見抜いたことを意味する。それは、おそらく当たっているが、五行を否定するのと同様な、反社会的思想に該当してしまう。議論されることなどあり得ない。
  

     

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