■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[12daa釋水]■■■
「說文解字繫傳」の主体たる、通釈30巻ではなく、独自見解を記載している付属の<類聚>を取り上げた。「爾雅」の見方を取り入れていることもあって、面白いし、頭の刺激にはなるということで。

見かけ独自性的風合いを感じさせるものの、「說文解字」巻十五叙に書いてある通りに、構成を考えただけとも言える。肝心の、叙の方針が巻一〜巻十四にどの様に生かされているのかについてなにも語っていないから、解釈書としては今一歩。分類も、「爾雅」より「易」思想に忠実とも思えないし。

と言っても、そんなことが簡単にできる訳もないが。現時点迄ここらは未解決なのだから。
小篆を対象とし、その字体もママ掲載であり、誰でもが自由に検討できる様に配慮されているにも関わらず。・・・
 字体で繋げて整理したと書いてあるが、それなら、
  部首の順番はどの様に決められているのか?
 "文(素の記号)"が創成された由縁を説明し、
  それを利用した"字(複数素の合成)"を分解整理し
  意義が決まった過程を示すと、
  はっきり記載しているのでは。そうなると、
    それが540部首選定とどう繋がっているのか?
 それに、使われていた縄"文字"は、
  どの様に記述"文字"に受け継がれたのか?
    突然、全てを捨て去ることがありえるのか?
 解説文で使われている文字なのに
    部首所属文字から漏れる理由は?
 部首や部所属文字以外の部品は存在しているのか?
  「說文解字」は肯定しているのか、
      それとも、否定しているのか?
 (甲骨はヒト相対会話語彙を扱わないと思うが、
      その手の文字は小篆にはないのか?)

その状況をこじ開けにかかったのは白川漢字学。しかし、「說文解字」の考え方を解いた訳ではなく、異なる土俵の存在を提示したに過ぎない。それだけでも画期的ではあるものの。
  

     

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